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Cancer in the dark


癌の年なのかというほどに今年は"癌"という言葉を聞いた気がする。



チバユウスケが癌になったらしい
吉井和哉も癌になったらしい
祖母が癌で亡くなった
祖父も癌になった



俺はいわゆる"おじいちゃん子"だった。
家族にとっても初孫だったし、
祖父母も俺が小さい時は60代前半だったのもあってたくさん遊んでもらった記憶がある。


四国の山奥からやれ入学だ、学芸会だといっては
度々会いにきてくれた。

もちろん年末年始や夏休みは帰省でこちらから会いにも行った。

その度に「ようもんたな」と言って時間の限り相手をしてくれていた。
冬は雪で遊び、餅をつき、檀家の寺の手伝いをした。
夏は釣りに行き、カブトムシを取りに行き、山菜を取りに行った。

部活動を始めてなかなか会えない日が続いて、
年に一回会えない年も増えていった。

大学生になって友達との時間が楽しかった。

コロナになってようやく約5年ぶりに会ったじいちゃんは、明らかに衰えていた。


10年前に寝たきりになった祖母の面倒を見ながら、子供達家族に毎年お米を作り続けて送ってくれていた。

そんなじいちゃんが癌になり、
体は細くなり、畑仕事も辞めていた。


いつの間にか長い時間が流れていた。
漠然とずっとこのままが続くと思っていた何かは
確実に時間の流れの中で姿を変えていた。

幼い自分の成長を記した柱の文字は滲み始めていた。

本家の証である蔵は雨風に晒されて続けついに
崩れ去ってその姿すら無くし土に帰っていた。

無人となった隣の母屋は山からの土砂が流れ込み
柱数本を残して草木に飲まれていた。

鶏小屋にすでに気配はなく錆びた金網がキシキシと音を立てていた。

自分が大人になるということは同時に皆老いていくという当たり前のことを忘れていた気がする。


こんなにあっけないのならもっとよく見ておけばよかった。
こんなにかけがえのないものならもっと焼き付けておけばよかった。
こうなる前に今からでも感謝を伝えなくちゃいけないと思った。

片道車で半日以上。
直線距離で約700キロ西の空の向こう。
あと何回会えるかなぁ。

まだ遅くないよね。

次も元気に会えますように。

レイメイ

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