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「好きなもの」は好きでいい。

みなさん、おはななちゃん!
できれば短くても毎日したいnote更新、なかなか時間が上手く使えない日々が続いていました。

すっかり気温も秋めいてきましたね。花粉は辛いけど、秋はとっても好きな季節です。
季節の変わり目、体調だけにはみんな気をつけようね。

今日は、「好きなもの」についてお話させてください。

(以下、オタクとしてのななせの思想が強く出ています。ご注意ください。)



私のnoteを読んでくれているあなたはきっともう耳タコ(目タコ?)(いや目タコってなに?)だと思うのですが、私は根っからのアイドルオタクです。アイドルという生き方が好きです。

アイドルに限らずですが、何かのオタクをする時、ハマるきっかけは何百何千通りもあると思います。

フィーリングだという人もいれば、ビジュアルだという人もいるし、中身(性格、背景…諸々)だという人もいる。
私はこの中で言うと、好き!までにかなーーり時間を要するタイプなので、 中身が好きが割とスタートラインです。なんならもっと詳しく、ひとつ推しに共通していることを考えてみたのですが、「その人が話している時にアイドルとしての聡明さ」が見える瞬間が一番好きです。

ビジュアルの好き好みは勿論人間なのでありますが、2次元、2.5次元共に顔が好き!からずぶずぶ沼にハマることは今のところ一度もなかった気がします。


なので、アイドルオタクなのに、センターを推したことが、ない。

センターは比較的万人に好かれるビジュの強い人が置かれる立ち位置かなと思っています。
もちろんセンターで顔が好き!と思ったこともありますが、どちらかと言うとパッと華やかな人よりも、控えめな人が好きなような、そんな気がします。

(ビジュアルも天性、または努力の賜物なのでそこきっかけを否定している訳では!なく!)

これはオタク特有の天邪鬼なんでしょう?と思った方もいると思うのですが、おそらく生粋の「縁の下の力持ちフェチ」なのだと思います。
場の空気を崩さない、人を傷つける笑いを取らない、発言や立ち回りに頭の回転の速さを感じる人にときめきがちなのです。

その昔、ほんとうに人生をかけて推していて、大好きで、ドデカガチ恋感情を抱いたアイドルが居ました。

彼は今もアイドルを続けていて、推していた当時雑誌などのインタビューで答えていたような夢を次々と自分の手で叶えていて、25年の人生の中で私が1番尊敬している人です。

ただ、私が推し始めた当初はグループ内格差があり、私の推しはグループの中でもセンターやエースに比べてかなりお茶の間から認知度の低いアイドルでした。
現場に行っても同じ色のペンライトを振っているオタクもちらほらくらい。
ドーム規模のアイドルですが、見かけた同担のTwitterアカウントを特定できるくらいにはその人推しは当時割と稀有(貶してない)な存在でした。
だからオタク同士でもその人を推してるってコアだよね〜、みたいな言われ方されてました。

オタクじゃない職場の人達からは、
「お金がもったいない」
「あ、(センターじゃ)じゃない方なんだw」
「なんでその事務所でその人なの?w」

とまあ、私の推しにも私にも大変失礼なことばかり言われていました。いるんですよね〜、そういう人って。
でもまあ、確かにお茶の間で言う二枚目キャラではなかったのでどうせアイドルを推すなら‼️みたいな一般大衆の意見があるのも、理解は出来ないけどわかります。


いや、でも、1回、ライブのパフォーマンスを見てくれ!?
というかかっこいいとかかわいいとかなんて人それぞれのものさしじゃないか!?
こんなに一人一人に向き合ってくれるアイドルって私はこの人以上を知らないんだけど!?どこに目をつけていますか!?100億時間ライブ映像をコマ送りで見ながら説明しましょうか!?(いらない)

という気持ちでした。

でもその反面、そこまで言われ続けてしまうと心は折れてしまうもので、こんなに熱心にオタクをしていることって肯定的な意見を貰えないし、当時はガチ恋だったので年頃の女が届かない相手にこんなにもがむしゃらなのってみっともないのかなあ…、と落ち込む時もありました。

でもそんな私に「好きなものを好きだということは何も恥ずかしいことではない」という事を推しが証明してくれたんです。
これを書くと誰かバレそうな気もしますが(あくまで伏せて書きたかった)、推しはドのつくアニメオタクでそれを隠すことなく貫いたことで声優のお仕事、アニメ関連誌での連載、声優さんとの対談、推しとの共演、なんなら彼の推しが彼のライブに来てくれていた時もあったし、今では彼の聖地の秋葉原駅のデジタルサイネージに彼の書いたライトノベルの映像が流れて。
(これは朝方帰りがけに見かけて1人で大号泣しました。なんて奇々怪々な図なの?)

でもそれは大きい事務所に所属していたからではなく、趣味をたとえ馬鹿にされても、同じ趣味の人達から叩かれても、折れずに好きを貫いた彼のまっすぐな気持ちと自分の趣味のお仕事をする時(もちろんそれ以外も)、プライドを持ってストイックに向き合ってきた事の「答え」だと思うのです。

だから、誰になんと言われたって「好きならばひたむきにがむしゃらに好き」で良いのです。
周りや本人に迷惑をかけない(←ここは大事‼️)“好き”ならば、いくらでも愛を叫んでいてもいいのです。

コンテンツとオタクという関係値であっても絶対にその「答え」が返ってくる。
私はただただひたむきに推していた7年、ずっとずっと幸せでした。自分がかけてきた気持ちや労力やお金が倍以上になって返ってきていたし、この人を推していてよかった、と現場の度に思っていたし、本当に嬉しくて幸せで楽しかった。誰よりも幸せなオタクだったんじゃないかな、と思うくらい。

【注釈】「オタク」を辞めた理由はグループにどうしても生理的に受け付けないメンバーが居て、グループにこれ以上貢献はできない。本人のことは好きなのに本人が好きなグループを愛せないことがしんどい、と思ったからです。


と、ここまですごーーーーーーく長々と私のただのガチ恋拗らせオタクくん話をつらつら書きましたが、何が言いたいかってね

「好き」って別に年齢も性別も世間体もなんにも関係ないんです。
好きなら好きでいい。ただ、人様に迷惑をかけなければ愛はいくら叫んだってええ。
オタクの「好き」は、なによりも強い。

そういうことです。

オタクなんて極論キモくてなんぼなのです。キモいことはそこまで熱中できるということで、美しいことなのです。

だからみんな、好きにはひたむきであれ。
これを読んでいるあなたが幸せだと思うオタクライフを歩んで欲しい。

ななせは真摯でひたむきなオタクをいつだって応援しています。(どこポジ?)

お粗末様でした!