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【ボクの細道】#35#36「Little Miss Highway」「チェバプチチ」

「退屈な夜をくれた人」今までわからなかったリリックの意味が少しずつわかり始める月夜
モスタル

ボスニア・ヘルツェゴビナのヘルツェゴビナ部分、国土の南部にある都市モスタルに来た。日本語で書くと、モスタールの方が発音としては正しいかもしれない。サッカー日本代表の監督だったヴァヒッド・ハリルホジッチ監督にゆかりの町でもある。

到着してホステルに荷物を置いて、ホステルのキッチンでヌードルを茹でて食べ終わると旧市街へ繰り出した。が、すぐにカフェに入ってテレビでやっていたプレミアリーグをコカ・コーラのビン1本で粘って前後半を通して見ると陽はすっかり落ちていた。
ひいきのチームが接戦を制して勝ったものだから、好きな女の子と初めて飲み会に行って駅で電車を見送った後の男みたいに、脇の下で小ぶりなガッツポーズを繰り返しながら旧市街へと歩いた。

ヨーロッパとアジアという大別が良いかどうかはさておき、ヨーロッパの色が白で、アジアの色が青ならば、モスタルという町は梅雨明けの紫陽花のように青と白が入り乱れて咲いている。そんな町だ。旧市街全体が世界遺産で、ボスニア紛争で破壊された石造りの橋は再建され、小川の上に架かっている。

EU非加盟国だからなのか資本主義がまだ唯一無二の原理としてではなく、暖かな照明が川沿いのレストランから漏れ出して優しく町を照らしている。トルコのバザールで見たような騒がしい市場とよく喋る売人たちの声も、薄暗い町のはずれに来ればせせらぎの音と和音になって沈黙という音を作る。

今回の旅で一番気に入った町。それがモスタルだった。

そんなモスタルに泊まったあの夜は、ちょうど満月の夜だった。はい、出ました日本語話者にとって最大のタブー、月の話。ここからペースチェンジ。どこかの誰かが「I LOVE YOU」の訳語は「月が綺麗ですね」だとかどうとかという風説を流布したがために、月の話をしただけでクサい話に聞こえてしまう。

まぁ、このnoteは元よりクサい話しか書かない公開型デジタルタトゥーみたいなもので、クレジットカードの明細が届くみたいに、将来のボクが、若さ故のイキリを見て羞恥心が噴火してタービンを回して、ひと月分の電気代が浮くぐらいにはなるだろう。

日本社会でどれぐらい月の話をしてはいけないかについて、一応説明しておこう。かつて、同僚の女性の方が、ボクと同行中に月を見てうっかり「月がキレイ」と呟いてしまった。その刹那、ふと気付いたように、それはExcelで入力した数式にEnterキーを押して数値が返されるより早く、「あ、そういう意味じゃないですからね」とセルフツッコミ気味に修正した。

マインスイーパーで最初の1,2手で地雷を押してしまって、すぐにニューゲームするみたいに何事もなかったことにされた。ボクはまだ月が綺麗ということに対して、そういう文脈で読み取ることができる可能性にも気付く前だったし、何でもかんでも恋愛の文脈に落とし込むほど分別のない人間でもないつもりだったけど、あらぬ誤解を防ぐために必要なガバナンスということなのだろう。

彼女の発言は「このツイートはすでに削除されました」という但し書きが表示されて、既に不可視化されている。みなさんも月の話をする際には十全な注意をしましょう。そうセルフ自己啓発をしたところで、ようやっとボクがしたかった月の話に戻ろう。

いやホントは、月と言えば日本の城郭にある月見櫓もアツいよねという話もしたく、特に松本城の月見櫓が好きとかそういう話もしたいのだけれど、それはそれで城郭オタクみたいになってしまうので、自重した方がいいのだろう。あの曲輪が好きなんだよね~みたいなことを言っても、まず「くるわ」と読める人が少数派だろうから、バンドの「くるり」の話をする方が無難なのである。

さて、ようやく本題に戻ると、ボクが井上雄彦の漫画『バガボンド』が好きで、その中に出てくる主人公の武蔵が月を見上げるシーンが好きという話は、もうすでに記事にしているのかもしれないけど、最果タヒも多分同じような話いっぱい書いているからいいよね。いや、最果タヒと同じにするやな、テメェにはそんな才能もねぇだろと思いもするけど、小学生の「みんなやってるもん」より「最果タヒもやってるもん」の方が説得力あるからいいだろう。

吉川英治の『宮本武蔵』が原作のこの漫画では、主人公の武蔵は天下無双の剣豪を目指して放浪の旅を続ける。そこに至るまでの子細なプロセスは省くが、流浪の武蔵が囚われの身になったとき、看守から寄せられた蠟燭の灯火を見て独白する。そのシーンが好きで何度も読み返すし、井上雄彦には本当はできることなら続きを書いてほしい。

これまでの日々
独行の旅の夜
月の光がどれほどなぐさめになったか...
第261話「月光」より

自転車で旅をしているとき、真夜中の農道を進みながら、見上げた月の光の優しさに助けられたことは確かに度々あった。だから、今までは、月の光は、道の先を照らして前へと進む力をくれるものだと、そう思っていた。旅の孤独や寂しさを紛らわせてくれるものだと。

でも、モスタルでひとり月を見て思ったのは、あの武蔵ですら、ですらといっても、もちろんフィクションの人物ではあるのだが、孤独や寂しさを感じていたのかと、だから月の光にやすらぎとなぐさめを感じていたのかと、そのことにやっと気付いた。一緒に旅行に行こうと誘うことができるともだちもいなくて、ひとりで旅しているボクが、寂しいなんて当たり前すぎることだった。

人間の時間軸で考えれば、月はおよそ不変に等しいもので(ときどき殺せんせーに切断されたり、エヴァンゲリオンのせいで血塗れになることはあるにせよ)、変わっているのは我々人間の心だと。つまり、恋愛的な文脈で「月が綺麗ですね」と言ってしまう場合、適切に翻訳すると「月が今までと違って見えるぐらい、現在、恋愛感情に揺られています。」ぐらいになるのではないだろうか。

と、いうのが養老孟司センセイの『バカの壁』の要旨なのだが、それに感化されていつぞやに学校の作文で、「知る」ということは「死ぬ」ということであるという作文を書いて、ボロボロに添削されて手元に帰ってきたことがある。全くなんというイキリ思春期エピソードだろうかと思う一方で、やはりその感覚は自分の中に絶えないものとしてある。

養老センセイが言っていた喩えで秀逸だったのは、究極的には「知る」ということは「ガンの余命告知」だよ、ということだ。要するに、ガンであと残り幾ばくかの命だということを知ったら、何気なく見ていた近所の桜が咲いているのを見て感動することもあるんじゃないのか、と。

冒頭の詩の話に戻ると、年をとることで好きだった歌の歌詞が安っぽく聞こえることもあれば、今まで気に留めていなかったフレーズが気に入ることもある。今まで好きだったリリックが別の角度から見えることで、全く違う景色に聞こえることがある。それは昨日までの自分という認識体系が「死ぬ」ことで、新しい今日の自分という認識体系に生まれ変わるからだろう。

クサいことをまた言ったので閑話休題。(今回は通してクサいけど)

モスタルで思ったのは、JUDY AND MARYの「Little Miss Highway」(『Miracle Night Diving』収録曲)がずっと好きだったんたけど、サビの「たいくつな夜をくれた人」というフレーズだけは、「そんなことあるか?」とイマイチしっくり来てなかった。この曲は恋愛について歌っている歌だから、若干文脈が違うけど友人と旅をしていたところから、ひとり旅になって数日、退屈な夜を自分で選んだというよりもどこか受け取ったようなそんな手触りが少しだけわかってきた。

ものの見方は年を経るごとに変わる。そんな当たり前の事実を思い、また年老いてからこの町に来たときには、あるいはひとりで来なければ、またこの町も違って見えたのだろうかと思う。そんな生産性の無い思考を巡らせながら、旧市街で家族経営の店でチェバプチチを食べた。ボスニアは物価が安くてなんだかこれが海外旅行だよな、なんて思ったりする。

反抗期まがいだったあの頃、なんとか自分が賢いということを証明したくて、自分でも読めそうでそれでいて難解そうなことが書いてある本を読もうと『バカの壁』を手に取った。今思えば、中学生になってもいないガキが新書一冊読んだとて、大して賢くなるわけでもないんだけど、必死に何周も読んだ。

あの頃は、教員みたいな類の人間は信用ならないと思っていたから、『バカの壁』の、先生に「でも」なったか先生に「しか」なれなかったと揶揄する「でもしか先生」という下りを読んで、悦に浸っていた。そんなボクが10年後教育学部にいるよなんて聞いたら、10年前のボクは卒倒するのだろうか。

そんな人より少し早く来た思春期に、権力におもねらない、そういうマインドセットで10年後も20年後も居たいと考えていた。でも、今は、ものごとの感じ方が変わっていくのを、客観視していくのも楽しいと思えるようになって来た。あわよくばこの記事が、10年後のボクにとって噴飯ものの黒歴史でありますように。

チェバプチチにチリコバシツェ。慣れない音の料理ほど懐かしい味がするのは、慣れないことをしすぎたせいだ。
モスタル


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