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東京

新宿の東口の喫煙所から、雨上がりの空を見上げる。蒸し蒸しとした空気が煙と混ざって重たい空気を作っていた。「私にとってあの建物が東京の象徴なの」。水色のガラスを網目状の鉄板が囲う、東京モード学園を見上げながらぽつりと言ってみる。新宿に行けば色々なところから見えるあの建物は、東京タワーや東口の猫の3D映像よりもはるかに東京を感じさせた。

小学生の頃だっただろうか、鍵っ子だった私はテレビに夢中だった。まだ3DSが買い与えられず、たまごっちIDを遊び尽くしたその期間は、娯楽に飢え、ぽっかりと空いた時間だった。帰宅早々、慣れた手つきでテレビのチャンネルを合わせる。リアルタイムだとCMは飛ばせないから、メリハリなくぼうっと見続ける。そこに、あのモード学園のCMはあった。

今やどんな内容だったかは覚えていない。けれど鮮明に残っているのは、スタイリッシュで近未来的な作りのあの建物の鳥瞰映像と、真ん中に映し出され読み上げられる「東京モード学園」の言葉だった。

両親に勉強を強いられ、反動で自由を求めていたあの頃。
イラストを描くのが好きだったが、上には上がいると身に染みて感じたあの頃。
個性、クリエイティブ、自由、そんな抽象的な言葉に踊らされ、それを一身に求め、憧れたあの頃。
それらの願望を、ここなら叶えてくれるのではないかと子供ながらに夢見た、「自由」の象徴、モード学園。

実際に入学することはなかったが、憧れる気持ちはいつしか自由の街「東京」の象徴になった。

今が不自由な訳ではない。クリエイティブな課題をクリエイティブにこなす。その考え方や表現のしかたは、子供の頃には想像もつかない形で実現できている。たとえ、それが仕事にならなくても、その過程が辛くとも大好きだ。

先日、『明け方の若者たち』を読んだ。クリエイティブを夢見て、総務部に配属になった主人公。同じくクリエイティブを夢見て、営業部に配属された親友。理想と現実の狭間でもがく彼らを、つい自分と重ね合わせてしまう。今自分に何ができるのだろう。不安と、興奮。「東京」の象徴は、相反するふたつの感情を呼び起こす。

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