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もし僕らのことばがウィスキーであったなら/村上春樹著

この「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」は、前にもnoteに書いた様に、セカオワのSaoriさんが書いた読書間奏文に載っていて、ずっと読みたい!と思っていたので、ようやく読み終えられて嬉しいー!

この本は、村上春樹さんがウイスキーをテーマに旅行をしたときのエッセイだ。

今、他の本も並行して本を読んでいるが、私が選ぶ本は、状況的に、金銭的にも海外へ行くのを躊躇っているからか、旅をテーマにしたエッセイを選ぶ事が多くて、この本もアイルランドなど行ったことない国が出てくるからいつか行けたらいいな〜と思いながら読んだ。(私の行きたい国リストに入れた。)

読み進めていくと、ボウモア蒸溜所のマネージャーである、ジムさんという方が案内してくれたらしく、その方はそのボウモア蒸溜所で曾祖父の代から働いているという。

そんなジムさんがウイスキー造りを好きなのは、ロマンチックな仕事だからと答えるのが印象的だった。

「僕が今こうして作っているウイスキーが世の中に出ていくとき、あるいは僕はもうこの世にいないかもしれない。しかしそれは僕が造ったものなんだ。
そういうのって素敵なことだと思わないか?」

例え、自分がいなくなっても、自分の造ったウイスキーは残る。誰かが手にして、それを手にした人が口にする。

これは、ウイスキーを造っている人に限らず、この世の中で美術だったり、音楽を作っている人だったり、本を書いている人だったり、映画を作っている人だったり、創作に携わっている全ての人に共通することだな〜と思った。

創った本人がこの世の中からいなくなったとしても、誰かが聴いてくれたり、観てくれたりすることで、ある意味その人は生き続ける。

確かに、それって、すごいことだな〜、素敵だな〜と思った。

創作をするのは、生きた証を遺すことなのかなと感じた。

別に創作をしている人でなくても、誰かが自分のことを覚えてくれていたり、その人に影響を受けて何かを始めたりとか、そういうことでもその人は生き続けるよなと思った。

自分もそういう人になりたいなと感じた。

そして、村上春樹さんの本を読むのは、小学生以来だった。その時、読んだのは「1Q84」で、小学生の私には理解出来なかった。でも、読書間奏文のこの本のエッセイの中に「1Q84」が出てきてまた読みたい欲が増してきたので、いつか読みたい!文庫本なら読めるかなと思っている。

出てきたウイスキーの中で、1番気になっているのは、アードベッグだ。
まだ、ビールも苦くて飲めない私が、ウイスキーの味を堪能できるまではまだまだ時間がかかるだろうけど、いつか自分のお気に入りのウイスキーを見つけられたらいいな〜。







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