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紫陽花を染める

(※この記事は2021年5月19日投稿の削除記事を再掲したものです)

雨上がりの午後、職場の庭で小さな子どもと手を繋いでアマガエルを探す。「なっちゃん、ほら、カエルさんいたよ」ツヤツヤ光るそれは、紫陽花の葉と同じ色をしてる。

手のひらにそっと包んで目の前に差し出して手品の種明かしみたいに披露する。わぁ!って言いながら指で恐る恐る触ってみるその指もカエル同様、とても小さい。愛おしいもの。

梅雨が運んでくるのはカビでも五月病でもない。そんな憂鬱ななにかじゃない。

空から細く細く降る雨は、紫陽花を色鮮やかに染める。一番好きな花。紫に青、ピンクに白、一面の紫陽花の濃い青から淡い紫のグラデーションは、まるで夕暮れの空がピンクと水色に世界を染める頃みたい。たまらなく好き。

知ってる?雨がたくさん降ると、紫陽花は鮮やかに染まるんだって。

“ 言葉がいくら足りても 果たして風はおこせるかい。それと一緒で僕の手では 君の心を動かせない ” <紫陽花/椿屋四重奏>

椿屋四重奏っていう、今はもう解散してしまったバンドの曲でこれが一番好き。

紫陽花が一番好きな花だって気付いたのと、この曲を好きになったの、どっちが先だっけ。今では分からないなぁ。

言葉が人の心を動かせなくなるのは、いつだって寄り添う時間の終わり頃だ。最初の頃は、言葉のひとつひとつ、小さな仕草、表情筋が動くたび、うるさいくらいに心臓が高鳴って、心は揺れ動いて、きっと風だって起こせてしまう。

それが少しづつ、時間をかけて、心がズレて、離れて、軋んで、慣れて。いつの間にか言葉は魔法を失っていく。どれだけ唱えても心まで届いてはくれない。

“ 笑いながら君は 雨に流れて消えた ずぶ濡れの紫陽花みたいに 綺麗で悲しい”

紫陽花が咲いたら、傘をさしていちばん綺麗な雨の日に見に行きたいな。細く白く、降る雨の中で綺麗な泣き顔が見たい。

雨は好き。窓を叩く音。傘に落ちる音。雨みたいなバンド、曲、沢山あるなぁ...

GOOD ON THE REELは雨のバンドでしょ。傘も雨も歌詞によく出てきて、あとね、雨みたいによく、泣いてる

雨のパレード、名前そのまんまね。ペトリコールはきっと自死を描いた曲だけど、あまりに美しいから、心に雨が降り積もった時によく聴く。

最近の最愛のシノエフヒ(のノクターン時代)の雨傘と天気雨。あの女の子は雨が降ったら、傘もささず雨とじゃれ合うような子で、私が大好きな文章を書く子を連想して好き。彼女きっと雨が降ったら濡れながら踊っちゃうと思う。きっと、ワンピースが良く似合う。奔放で動物的でとても可愛い。生まれ変わって男になれたらわたしは彼女と恋がしたい。最後はみごとに言葉の魔法が切れて、振られちゃうだろうけど。それもいい。そんなのがいい。

雨が濡らすと綺麗なのはきっと紫陽花も人も同じね。鮮やかになってしまうね、思い出だって。

紫陽花が咲く前に、傘を買おうと思う。とびきり可愛いやつ。

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