幸せ行きのチケット
好きなバンドのライブを何度も蹴ってきた。
行けないからではない。テンション上がってチケットまでとって、いざ行ける事が現実味を帯びてくる。
すると、罪悪感が沸きあがる。
本当に好きであればあるほど。
数年前に[ALEXANDROS]に浸かりきっていた頃、ファンクラブ先行でACIDMANとの対バンを当てた事がある。その数年前までACIDMANは自分にとっての創世の人そのもので、とても深く愛して感化されていたので、迷うこと無くチケットを申込んだのに、いざ当選すると、怖くなった。
幸福を享受する事への罪悪感と、受け取るに相応しくないという無価値感。
チケットを手放した。とても悲しかった。だけどそんな幸せは受け取ってはいけないから仕方ない、という諦め。
人は幸福になるにも勇気がいるのだという。
それからも何度も何度も同じような理由で、せっかく取ったチケットを手放した。幸せになり過ぎてしまわぬように、幸せから逃げた。痛む方が相応しい、と逃げた。
身に余る幸福を受け取る勇気がなくて、今また取った電子チケットのダウンロードボタンが押せないでいる。
なんてめんどくさい心。素直に喜べたらどれだけ楽だろう。泣くほど好きなら、喜んでいけばいいじゃないか、と思うのに考えるほどに無価値観に苛まれて足がすくむ。
逃げ出したい。
会いたい。
逃げ出したい。
会いたい。
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