見出し画像

それは月明かりのように。

「君はひとりぼっちなんかじゃないよ」

それは質量と温度のない言葉だった。概念的に漂うだけの言葉の向かう先はどうも私を含まない外側の世界らしかった。

当たり前だ、私に向けられたものではなかったのだから。

世に蔓延る耳障りの良い、紙切れよりも薄い言葉。そんなものに救われる心も、何処かにはあるのだろう。ただ私には無味乾燥であるというだけで。

世界は生まれた時からなんだか他人行儀で、上手くそこに馴染むことが出来なかった。傍目に見れば特に決定的な破綻はなかっただろうし、ごく普通の生活を、ごく普通に送っているように見えただろう。

だけどここ数年で、困ったことが起きた。

『小さな輝きに気付いて世界が愛おしくなっちゃった』のだ。文字にすると何だかとてもチープに感じるね。

音楽を通して、とても美しい感性に出会った。それは、音楽の中に身を投じて、時に跳ね回り、踊り、時に拳を突き上げて吠える。時に喜びで満ち足りた顔をして、時にひとり静かに涙する。物語をなぞるのは心の指先と言えるような、言葉の仕草。

それは音楽家であったり、音楽を愛して聴く人であったりした。ここ数年で時々そういう輝きに出会った。

それはとても綺麗なもの。光を帯びて見えるので何かに紛れても輝きの隠しきれないもの。表面的な飾りなど意味を成さないし、造詣がどうだとかは無関係だ。物事を見る視線には寛容と優しさが宿る。自らの弱さを知ると人は優しくなると言うけれど、そういった類の優しさ。丁寧に読み解く洞察力は音楽に優しい意味を添える。

そういう人達が生きている世界なのだ、という事に気付いてしまった。

これはとても衝撃的なことで、ただ音楽だけが救いだった私にとって、まさか『人』が救いになるなんて、という出来事だった。

救いと呼ぶと大袈裟な気がするけれど、時々ふと「あぁそっか、同じ時間の中で美しい感性が生きているのか」と思うと、途端に心の中で小さな光がきらきらとして、世界が愛おしく思えたりするのだ。

笑わないでね。

煌めきは過去の中に閉じ込めてしまったものもあるし、今とても静かに光って見えるものもある。ゆらゆらと光は少しの影を帯びながら揺れて「生きている」と脈を打つ。

あぁ綺麗だなぁと世界を愛おしく思う時、私はひとりぼっちじゃないのかもしれない、と思うのだ。大きな流れの中に浮き玉のように浮かんで揺られているような頼りなさを持ち寄って、世界を抱きしめていられたら、なんて思う。

前より少し、命に終わりがある事が寂しくなってしまったことに気付く。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?