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ピアスを開けてもらうのってエモくね?

 ふと思っただけの話なんだが、身体に傷をつける行為は自らが望んでいるかいないかで意味が大きく変わると思うのだ。



 私の身体にはタトゥーが入っている。ただしっかり正しておきたいのは「そういった類の人間では無い」という事だ。
 偏見の目は未だにあるが、その多くはそういった類の人間に対してのものであると思っている。自分の事を隅から隅まで調べたとして、丁寧に友人関係まで調べ上げたとしても、私の背景にそういった類の人間は1人として居ない。

 さて、タトゥーは自ら望んで身体に傷をつくる行為だと思っている。専用のインクと針で皮膚の中にインクを入れ込む。痛くないかと聞かれれば、痛いと素直に言える。場所にもよるが、大概は痛みが伴う行為だ。痛くないなんて言ってる人はきっと神経を母体へ置いてきてしまったのだろう。タトゥーは入れている時はもちろん、終わった後の消毒が1番痛いというのに。
 実際に私の行っているタトゥースタジオでは施術が終わると「お大事に」と言われる。それはきっとこの行為が傷を作るという事だからなのだろう。タトゥーが安定していく過程でとても皮膚が痒くなる時期がある。擦り傷が出来て瘡蓋になった時期はとても痒かったりするもので、それと同じ原理である。そのとても痒い時期を乗り越えると綺麗に安定したタトゥーになるのだという。

 余談だが、タトゥーを入れて痒い時期に欲望のままにかきむしってしまうとインクが禿げる原因になるので、私はよく上からペシペシと割と強めに叩いて誤魔化していた。その行為が良いか悪いかは分からないが、幾分かマシになるから、もしもの時のために覚えていて欲しい。


 私の場合、タトゥーを入れる事に対してしっかりとした意思、意味、そういった事を気にする事はあまりない。大概は意味があって入れる人が多いと思うが自分の場合は「可愛い」や「綺麗」などで入れてる事が多く、それがここに入った理由なんかは全て生きているうちに段々と出来上がっていっている。理由が出来る前までは友人なんかに「これなんで入れたの?」なんて聞かれた時は基本的に「なんとなく」と答えていた。サッパリしてると言ったらサッパリしているが、薄っぺらいと言われたら薄っぺらいのだと思う。


 そんなタトゥーを入れるという行為に似ているのが他人にピアスを開けてもらうことだと今回思ったのだ。これはどちらも「自ら望んで傷を作る行為」であって、さらに、この場合大切になってくるのが「自ら望んでいるか」である。

 例えば、望まない傷とはどういったことだろうか。自分以外の誰かから、殴られた、刺された、轢かれた、そういった他人から受けた傷である。暴力などによってつけられた傷なんて誰も望んで出来る傷ではないであろう。さらに深堀するならば、目立つ所にある傷だけが傷ではないように、言葉によって心が傷つけられる事もあるがこれも立派な傷になると思う。これらの「他人によって自分の望まない形でつけられた傷」が当てはまると思うのだ。

 では逆に、望まれた傷とはなんだろうか。これは言葉そのままで自らが望んで、懇願して出来た傷だろう。自分で作った傷ではなく、他人が付けてくれた傷。大切なのは「付けてくれた」と思っているかだと思う。決して被害的な認識ではなく、こちらがお願いをしてやってもらった行いの末に出来たという認識であることが非常に大事なのだ。


 ピアスを他人に開けてもらう行為は後者であると思う。実際に私は今回、お願いをして開けてもらったわけだが、ピアスを開けてもらった後に「この穴は私が塞ごうと思わない限りは開きっぱなしなんだろうなぁ」と思ったと同時に、半永久的に残り続ける事、自分で望んで他人につけて貰った傷である事、その事実に対してとてもエモーショナルな気持ちになったのだ。

 エモいという言葉を最近は使うことがあまりよく思われない事も増えた。エモいという言葉で心情や風景その他諸々を簡単に全てをまとめられるのが嫌なのだろう。


 タトゥーを入れるのは覚悟が必要で簡単に入れられるものでは無いが、ピアスならさほど覚悟を決めなくとも開けられる気がしないだろうか。今時、中学生でもう初ピアスなんてこともザラだと聞く。実際にこれを読んでいる人の中でも中学生で初ピアスを卒業した人もいるだろう。自分はなぜかそういった類のことに興味をもつのが遅かった為、高校卒業してから初ピアスを開けた。

 その時もさほど気負いぜすに、簡単に開けることを決意して、すんなりと開けたと思う。


 でもそのピアスを開ける行為にタトゥーを入れる行為と同じ意味を見出す事が出来るのだ。

 これをとてもエモいと思ってしまったのだ。

 


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