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自分の欲を満たすのは良いことなのか?悪いことなのか?

ずいぶん昔のことですが、
あるセミナーに参加し“衝撃”を受けたことがあります。

どんなセミナーだったかというと、「お金持ちはなぜお金持ちなのか?
確かそんなタイトルでした。

「え・・」「マジ!?」
「そんなセミナーに行くの?」
「ヤバそう・・」
「タダでは帰れなさそう・・」
「騙されるよ絶対」
「そんなところへは行かない方がいい」
など、これらはほんの一部ですが、
当時の知人・友人・親から向けられた言葉です。


わたしは、裕福な家庭に生まれたわけでもなければ、伝統を継承していくような立派な家柄でもなく、ごくごく一般的な家庭で育ったのでお金に対する教育を受けたことがありませんでした。

だから、成人に近付くにつれ、お金に対する疑問が膨張していったことを覚えています。

そんな折に偶然耳にしたタイトルが「お金持ちはなぜお金持ちなのか?」です。これはもう「行くしかない!」と好奇心旺盛なわたしなら、当然そうなる訳です。

当時のわたしはそれほど臆病な性格ではなかったのですが、
今とは違いセミナーに対する認知や認識が一般的でなかったため、どうしても「怪しい場」という響きが先頭に立つ時代でした。そんなこともあって、多少の不安から誰か一緒に行ってくれないものか?と声を掛けたのです。

その結果が、、
まさかの先ほどの言葉。


結局はひとりで行くことになるのですが、
あのとき勇気を出して「行って良かった」と、今でもそう思います。

なぜなら、
セミナーの中で言っていることの全てがわたしの疑問を解消してくれる
「納得解」のオンパレードだったからです。

当時も今も同じように思うことが2つあるのですが、
ひとつは
学校教育過程のなかで少しくらい「教えてくれてもいいのに・・」
もうひとつは
やっぱり「学びは重要」だということ。


さて、
出席したセミナーの内容を全て書き出すのも悪くないですが、
今回はその中で最もインパクトが大きく、わたしの生き方や価値基準が激変した言葉について書こうと思います。

それはこんな言葉でした。

「自分が満たされていないのに、本当に他者を満たすことはできるのか?」
この言葉には衝撃が走りました。

どういうことかというと・・
本当に他者を満たすことができるのは「自分のコップはいつも水で満杯な人」だということを教わりました。

これは確かにその通りで、他者を満たすことができる人はワザワザ「自分のコップの中の水を分け与えている」のではなく、「自分のコップから溢れ出た水」をなんの無理もなく分け与えているのです。

そうすることで、どれだけ与えようとも本人は決して輝きを失うことはなくいつまでも輝き続けることができる

そして、与えられる方も「何かの犠牲の上で与えられているのではないこと」が理解できるので本気で受け取ることができるし、本当に心から感謝することができるのです。


日本には「欲望」や「煩悩」と言った言葉があり、それはあたかも悪いこと
のように教えられることもあります。

しかし、それは少し違っていて「自己実現のために必要なこと」であれば何ひとつとして諦めたり、取り下げたりする必要はないのです。

注意が必要なのは、
●自分は何を実現しようとしているのか?
●自分は何を達成したいのか?

など、
いわゆる「ビジョン」や「目的」を持たずただなんとなく過ごし、ただなんとなく「欲しい」と思ってしまうことは危ない!ということ。


その「欲しい」という欲求は“本当の自分”がそう思っているのではなく、
実は周りの環境や周りと比べることで生じた「嘘の欲求」かもしれないからです。


本当の自分を真に理解し、
自分に正直に、倫理に反することなく、まずは自分の欲求を満たしてあげること!それがとても大切なプロセスだということを当時出席したセミナーは教えてくれましたし、その基本的概念は今でも変わりません。

何かを始めるとき、
その「やる理由」はいつも素直で美しく在りたいものです。

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