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憧れの野末陳平先生。『責任はオレが持つから、何を書いてもいい」とおっしゃる、やっぱり素敵な方でした。

20代前半の頃からずっと、野末陳平先生に取材をさせていただきたいと思っていました。放送作家からタレント、国会議員になる人は多いのですが、プロレスのコミッショナー、姓名判断、中国哲学、税金、下ネタなど、脈略なく何でもやってしまうところに怪しさを感じ、憧れていました。

よりいっそう心を惹かれたのが、立川談志師匠と共演していた東京MXの番組『談志・陳平の言いたい放だい』です。当時、70代であったお二人が、ハリセンをもって叩き合う姿は衝撃的で、いつの間にかハリセンを手にとった瞬間に笑ってしまうほど魅了されていました。

一切の手加減なく陳平先生にハリセンを振り下ろす談志師匠。ときには、陳平先生も反撃しようとしますが、視力が弱っているので空振りすることもしばしば。それがなんともお茶目 /『談志・陳平の言いたい放だい』2008年7月19日放送分より

野末先生の深い教養も素敵で、いまだにこのシーンが忘れられません。

──社会を賑わす、とある猟奇的な事件が発生したことを受けて……。
談志さん あの事件なんですがね。あれは、(華道の)古流ですか、池坊ですか。
野末さん (ハリセンで談志さんを一発はって)草月流だよ。。

東京MX『談志・陳平の言いたい放だい』より。放送日は不明

これだけだと何のことか、わかりにくいですが……。本当にすばらしいなと思いました。めちゃくちゃ不謹慎なジョークでしたが。

そこで今回、いつもお世話になっているデイリースポーツ運営のニュースサイト『よろず〜ニュース』さんで、取材をさせていただくことになりました。記事は、取材当日に一気に書き上げて翌日には配信されました。

とはいえ、テキスト数の制限があったり、危ないお話もたくさんあったりしたので、かなりの内容をカットせざるを得ませんでした(※これには、記事配信後に野末先生、直々にお電話をいただき、一言いただきました)。そこで、記事でカットしてしまった野末先生のインタビューをここでご紹介したいと思います。危ない内容は、野末先生や相手の方にご迷惑を掛かるといけませんので、伏せ字にさせていただきます。ちなみに、この記事に関する野末先生のご承諾もいただいておりますので。

■見世物に成り下がったメディアには出ないよ。

──(朝9時からの電話取材……)もしもし、野末先生。おはようございます。朝早くからのお電話で大変、失礼いたします。

野末陳平先生(以下、野末と表記)いやぁ、それはいいけれども。テープとってるかい? ちゃんと。早口のところもあるし、不明瞭なところもあると思うから。テープで確認をして。

──準備できております。早速ですが、質問させていただいてもよろしいでしょうか?

野末 いい。あと最初に言っとくけど、なにを書いてもいい。原稿確認もいらないからね。

──えぇ? 原稿確認もよろしいんですか?

野末 うん、いらない。どんなことを書いても構わないし、君の感想なんかを付けてもいいし。それは、お任せする。

──(……しばし言葉が出ませんでした)ただ、書いていけない内容があった場合は……?

野末 いやぁ、そのためにテープをとってるんだろ? もしそんなことになったら、「ちゃんと、こうやってしゃべってますよ」でいいじゃない。なにがあっても、オレが責任持つからさ。まぁ、気楽にはじめようよ。

──ありがとうございます! では質問の方を。まず、どうしてメディアへの出演を控えるようになられたのか、その理由からお聞きしたいのですが。

野末 最後は、たしか『談志陳平の言いたい放だい』というテレビだったんだよね。75,6歳でやめて、それを機会にスパッとやめたと。理由は、いまさらテレビで話題になっても何の意味もないと。テレビ不信。テレビのようないい加減なことでは、世の中に影響力はまったくないと。その理由が一つだね。それから2つ目は、テレビにでて、若い人にペコペコして機嫌をとりながらやるのはバカバカしいと。もういい歳だし、さんざんやってきたから。3番目は、世の中が激変して、なにも自信をもって言えないのに、偉そうに専門外のことまで言って、片々たる小遣い稼ぎのコメントを出して、それが何になるんだと。世の中をバカにしちゃいけないと。その3つの理由が、テレビを断る理由で、出ない。

──つい最近、ラジオ番組の『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』に出演されたのは?

野末 それはもう、義理で。高田くんに頼まれて、じゃあって。そういう特別な場合はのぞいては、マスコミには一切でないね。だから、年にいっぺんぐらいだよ。よく考えてごらん。やむをえず、お付き合いで出るよと。それだけだね。そのほかには、自分から出るわけがないし、関係の無いオファーもお断りだね。

──テレビがいい加減になって、不信感を持つようになったというのが一つですよね。

野末 それもあると。テレビや新聞というメディア自体が、片々たる言葉を世の中に流す役割だからね。その中のひとりになるなんてのはバカバカしい。つまり言い換えると、お客へのサービスなんぞないと。自分の老後をどうかためるかと。世の中をどう見るかと。その答えが出ないからいまだにでないと。ということだね。

──当時をリアルに知っているワケではないので、違っているかもしれませんが……。メディアのいい加減さという意味では、野末先生がメディアに登場された頃の方が、おおらかと言いますか、いい加減と言いますか。その傾向は、昔の方が強いように思うのですが。

野末 それはね、君の言うことも一理あるし、げんにむかしのテレビは、それなりの影響力はあった。狭いところの影響力だよね。いまは、単に見世物。影響力もない。ただのいかがわしい見世物。今のテレビは。そして、やってるやつは、専門外のことでも偉そうに、小遣い稼ぎをやったり、売名で地方講演で大金をふんだくったりとか、もうそういう機能しかテレビにはない。そんなところに出る気はまったくない。小銭もほしくない。名前も売れたくない。ましてや、話題になんてなりたくもない。もう自分流に好き勝手に、老後を過ごす。極端に言えば、遊んで暮らす、それだけじゃつまんないから、世の中はどうなる、日本はどうなるって考えながら、今日も生きていると。

──メディアへの関心を見出せないと。ちなみに、今回の取材を受けていただいた理由は……?

野末 それはね、きみに送ったハガキにも書いたけど、何度も断って悪いと思ったから。サービスのつもりで。それにしても、この取材は何かに載るわけ?

──失礼しました。デイリースポーツが運営するニュースサイトでして。インターネットで読める媒体です。かなり若い世代も読んでいるんですけども。

野末 へぇー。はっきり言って、20代30代の人は、ぼくのことはまったく知らないからね。かえっていいかもしれないね。まぁ、ゆっくりやってくれる?

■野坂昭如さんが書いたエッセイは全くのデタラメ。

──若い世代の方も読まれると思うので、少し過去のお話について質問したいのですが。そもそも、この業界に入るきっかけは、横浜のストリップ劇場なんですよね?

野末 そう。大学を卒業してね。

──大学では優秀な成績で、先生になろうかどうかという立場におられたにも関わらず、ストリップ劇場の文芸部に入られるのが異色に思うんです。

野末 いやぁ〜異色とかいうね、そういう決めつけは第三者はしてもいいけど、本人は目の前にある面白い仕事には何でも飛びついたということだね。目の前にストリップ劇場の話がきて、裸の女と仕事ができるのはおもしれぇと。お金ではないというね。

──純粋な興味で。そこでは、ショーを書かれてたんですが? コントを書かれてたんですか?

野末 一幕の芝居。1時間半あるストリップのバラエティーショーのつなぎで、その中で、楽団を休ませるために50分の喜劇を毎週、書いていたんだよ。

──そうした、お芝居を書く素養はお持ちだったんですか?

野末 ない。早稲田の大学時代に、国定忠治というパロディ、現代風のパロディをやったら大隈講堂が超満員で。芝居なんてやったこともないし、好きで観てただけなのに。自作自演で、友達とやってバカウケしたんで。錯覚しちゃって。この世界もいけるかなと思っていた矢先に、横浜で新しいストリップ劇団ができるっていうんで、東京じゃないから目立たないし、勉強にもなるしって、そういうことなんだね。

──そこから、三木鶏郎さんが主宰する作家集団の「冗談工房」に入る流れなのですか?

野末 いや、あれは行ってない。冗談工房のテレビ番組のお手伝いはしたけれども、所属はしていない。

──ということは、三木鶏郎さんのお弟子さんでもない?

野末 ぜんぜん、ちがう。

──そうですか……。では、野末先生の本にも書かれていた飯沢匡(いいざわただす)さんの方が関係性は深いのですか?

野末 いやいや、だれの弟子でもない。それはまったく。

──野坂昭如さんのエッセイでも、確か、そうした話が書かれていたと思うのですが。

野末 どんなことを書かれてたかは知らないけど、それはうそ。ぼくは、所属はない。ただし、テレビの仕事のお手伝いをしたから、ギャラはトリロー工房(※冗談工房)からもらったことはある。テレビの方で。その当時は、テレビを三木鶏郎の名前でやってたから。

──野坂さんの本は……?

野末 それは、野坂くんが見たぼくで、虚実取り混ぜです。野坂くんは、そもそも虚実取り混ぜを書くのが得意で、ぜんぶ真実ではない。小説はちがうよ。雑文については、テキトー。それは、本当です。

──そうでしたか……。時系列で言いますと、テレビ黎明期に活躍された大橋巨泉さんや青島幸男さんなど、そういう方々よりも、野末先生や野坂さんの方が先に世の中に登場されていますよね。

野末 それは、そうかもしれない。ただ、マスコミに登場するといっても、野坂さんはコマーシャルソングで登場した。テレビタレントとは言い切れない。コマーシャルソングがテレビに流れたっていう。ぼくの場合は、テレビの味の素劇場っていう電通制作の一幕コメディを書いたのかな。たぶん、出発はそうです。

──野末先生は、コントというよりも、『ママちょっと来て』のようなドラマの脚本がメインだったんですよね。

野末 『ママ〜』は、ぼくが本格的にテレビ作家になろうとやりだしたひとつの番組で。若い頃の代表作ということですね。

──そのままシナリオライターとして活動されるように思うのですが、突如として辞めてしまいます。

野末 それはぼくが、テレビ界の内幕を書いた『テレビ稼業入門』(1963年 / 三一新書)が世に出て。話題になって得したけど、幕内では嫌われたね。あそこまで内幕を書くなんて同業者としてはけしからんと嫌われた。それで、最終的にぼくはテレビを干された。追放された。つまり本当のことを書いて、クビになったんだって。それでぼくは、マスコミに嫌気がさして、アメリカに行っちゃったんだよ。

──アメリカに行かれたんですか? それは何を目的に?

野末 アメリカで一旗あげようと思ってね。だけど、まったくダメで日本に帰ってきて。これから新しい仕事をはじめなきゃと思ったらば、日本テレビの知り合いが、古今亭志ん朝の番組をやらないかって。それからうやむやで、何年か、各局で売れっ子で書いたよ。だけど、テレビ作家は都合10年ぐらいで。そのうち、出る側になって、言いたいこと言ったら、毒舌人間って言われちゃってさ(笑)。まいったよ。

──テレビ作家とタレントは兼業だったんですか?

野末 うん。例えば、大阪でもレギュラー番組で『霊感ヤマカン第六感』(1974年〜1977年 / 朝日放送)をやってね、東京でも視聴率よかったけどね。ずいぶん、長く続いた。若手の噺家や漫才師が多くて、そこで有名になったのは、何人もいる。大阪では、出るほう。東京では、書く方っていう感じだったな。政治家になったのが、昭和46年だったかな。それからちょっとはテレビにも出たけど。

──先生はでも、一切メディアに出演しないということではなかったですよね。

野末 出てるけど、忙しいから。ぼくはその他大勢は嫌で。ちゃんと新聞に出ないと嫌だって思って、一生懸命にやったから、新聞にも社会面に大きく出てるよ。それは、24年間やったから、前半はものすごく大きく出てるよ。切り抜きが一部あるから。すごいでかくでてる。タレント議員は、社会面にそれほど大きく出ないもの。面白い話は出てもね。

──政治家も、これまでと同じく面白い仕事でしたか?

野末 政治家になったら、次の選挙があるから、面白いことはもうなかったよ(笑)。まぁ、プロレスなんかもコミッショナー、やってたけどな。政治家になってからやったんだ。あれは、夜だから。そうだ、テレビやラジオをやめた代わりに、毎日じゃなくてたまにだから、猪木たちのコミッショナーやってたね。

──どういう経緯なんですか?

野末 これは、二階堂進さんが、はじめにコミッショナーをやっていて、それで忙しくなって、ぼくに来たんですよね。なにもしないで、お飾りだからやれやっていうんで、やったんだよね。

──プロレスの本(『陳平のプロレスの裏 知りたい』(1982年 / 常文社)も出されていますよね。

野末 それはね、おれがしゃべったんだと思うな。でも、プロレスの裏は、書いたりしゃべったりするんもんじゃないからね。当時は、お客がきて、猪木も良い試合をやってた頃だから。そういえば、村松(友視)さんの本は面白かった。あれは自分で書いた本で、おれも読んだよ。おれの本は、しゃべったものを適当にまとめたものだから面白くないよ。

■○○○○はいいとこ、住んでたもん。

──突然、話は変わってしまうのですが……。ぼくの記憶違いだったら恐縮なのですが……。

野末 そんなのいいから、何でも聞いてよ。

──ありがとうございます。むかし、『言いたい放だい』で、談志師匠が、野末先生と○○○○さんは深い交友があったとおっしゃっていたと思うんですが。

野末 むかしね。交友でもないよ、何十年も前、ちょっとね。

──何かしら関係があると。

野末 いや。あいつ、いいとこ住んでたもん。あいつの家にちょっと行ったっていう程度だね。

──そうした方々に関心はあるのですか?

野末 いやいや、そういうのでやってねぇから。友達はいるよ。○○○○みたいな友達はいるけど、なかなかああいう連中はデリケートで付き合うのは難しいよ。深い交友はないね、全体とも。深く交友すると、やきもち焼かれたり、いろいろあってうるせぇよ。女性に代わる友達だな。その程度は、付き合ったよ、何人も。

──では、お付き合いはあるのですね。

野末 当時は、だよ。

──その頃は、プレイボーイと呼ばれていたので……。

野末 それは、勝手にマスコミが付けたんで、ぼくはそんな……。プレイボーイというか、女遊びはしてない。

──でも、『ヘンな本』(1968年 / 青春出版社)を読むと、経験が無ければ書けないこともたくさん載っていますよね。

野末 それは、当時は素人の女の子の遊び方で、愛人とか不倫とかはない。ナンパとか1、2回やって終わり。当時はそれで通ったから。

──酒場とかで?

野末 そういう知らない子はたまにだね。たいていは、知ってる子だね。

──以前、何かのインタビューで、先生のご自宅に行くと、☓☓☓な女性が何人もいらっしゃったとか。

野末 ☓☓☓はうそだね。女子大生がいっぱいいたよ。遊びに来てたね。要するにね、うちにくれば、飲んだり食ったりは自由で遠慮がいらないから、女の子同士できて、いろんなことして遊んでたね。部屋が3つぐらいあったし。

──Twitterを拝見すると、今も女子大生のお友達がいらっしゃるようですね。

野末 友達じゃないよ。10月11月の初めには、どこの大学も学園祭をやるんで、コロナもおさまって、だんだん(学園祭の開催が)戻ってきたんだよ。おれの家の周辺は歩いていける大学が7〜8つあるから、学園祭を朝から晩まで観てるんだよ。

──女子大にも足を運ばれて。

野末 何事もそうだけど、主として男はつまんない、女の方がいいよ。男より女の方が面白いよ。ということで、女子大学の学園祭を中心にまわってるっていうのが10月の日課だよ。

■この間の選挙は遊びで出たんだよ。

──ということは、都内で一人で過ごされているのですね。以前は琵琶湖の施設で過ごされるとおっしゃっていましたが。

野末 あれはね、行きたいけど、コロナで面会制限、入場禁止になってるから。行かれないんだよ。荷物はあるし、金だけ払って。あそこに行けたらまた違うんですけど。3年間、行けないからね。だから、時代が変わってくれたら動けるけどね。今は、この近辺を、それこそ、学園祭をまわるぐらいしか充実できなかったけど、もうないね。もう11月、12月は、遊ぶあてがないわ。

──でも、Twitterを拝見すると、かなり映画などはご覧になられてっていますよね。

野末 Netflixを観てる時間は多いかな。とくに韓流が多いから。Amazonプライムとか。所詮は映画だからね。みんなにしゃべるわけじゃないしね。家族がいないからね。自由で便利だけど、そういう家族の楽しみがわからないし、仕事はしてないし。力がないよ。

──積極的に行動をされているので、また何か新しいことをされるんじゃないかと期待してしまいます。

野末 君は若いから言うんだよ。このトシになると漢字はでないし。文章を書いて、漢字が出ないことなんて初めて。今は、都会に出てきて、世間のことを相手にしている。自ら称して、都心の隠者だよ。それ以外に自分を提議する言葉はないよ。隠者の目でみた、東京であり、過去であり、智であり。これから何かやれれば面白いけどな。字が書けない、アタマも回らないし。結婚式に30年ぶりに招待されたけど、スピーチで何をしゃべったらいいか困ってね、難しいねぇ。

──とはいえ、2019年に参議院選挙に出馬されました。あの時は、87歳でした。

野末 この間の選挙は遊びで出たんで。あのトシで選挙運動しないで、票がどれらくいくるだろうって思ったけど、宣伝したらもっときたろうけど。宣伝しないで、どれくらい票が来るかっていう実験だね。失礼と思われるだろうけど、言わなかったけどね。

──政見放送では、高齢者の方々の視点に立ってという内容をお話されていましたね。

野末 あの時代に、高齢者の意見ってだめだよ。その世界は過ぎてるわけだから。高齢者を大事にしすぎて、今の日本があるわけだから。もうずれてるよね。高齢者っていう段階で。あれは、一種、票がどれくらい集まるかっていう実験だからね。言うわけにはいかないから。

──では、今の政治に関するご興味はいかがですか?

野末 政治に興味はない。

──例えば、ミニ政党とは自称していませんが、山本太郎氏などが、小さな政党で奮闘していますけど、どのように見ていますか?

野末 そうした名前も聞くけど、興味はない。れいわ新選組もそう。受けようと思って、なんでもやってるのはわかるけど。どれだけ社会的な意味はあるかって言っても、本人には意味はあるんだろうけど、ぜんぜん興味はない。つまり、人のことは興味はないよ、政治の世界はね。政治の世界は友達も、死んだり、やめたりで、新しい人もまったく知らない。世界の政治の方が興味がある。イギリス、ドイツ、フランス、ブラジル、いろいろあるけど、世界の政治、世界の動きの方が興味があるから、日本の中で、なんとかかんとかって言っても、みんな同じだろとしか思えない。おれが、税金党をやっていた時代とは違うからね。ミニ政党をおこすのは、政界に強いインパクトを与えたから。

■作家の△△△△は病気で死ぬだろ。

──今、政界で繋がりが強いのは、お弟子さんの海江田万里氏でしょうか?

野末 海江田万里は衆議院の副議長だから。相談にはくるね。だけど、弟子が偉くなると良い気持ちだけどな。自分がえらくなってもなんともない。

──そういうものですか。では、名前を付けたみのもんたさんが活躍されていた頃も嬉しいお気持ちで?

野末 みのもんたは……。芸人だからな。名前は付けたけど、アナウンサーのときは友達だけど、芸人になってからは所詮は芸人だからね。友達にはしないよ。だって、芸人は友達を必要としないだろ。芸人は、芸人以外の友達をあんまり持とうと思わないだろう。こちらから言わせると、友達は所詮友達だけど、正当な職業についた人が友達だよ。生産性がなくて笑わせるとか、ちがう役割だからね。

──なるほど……。では、立川談志師匠は……?

野末 談志、神田伯山、春風亭一之輔あたりは、稼業は芸人だけど、友達として、芸人でない面で付き合ってるからね。芸人じゃない面もいろいろあるんだよ。普通の芸人は、おれの前で芸人の顔しか見せないから。談志であろうが、伯山であろうが、芸人じゃない面で付き合うからね。ご飯のときに芸はしないだろう。人間部分をさらけだすから友達になれるんだから。そういう意味だよ。区別したって、勝手にものさしを作ってるだけで、世間的には意味がわからないだろうな。

──素の部分での付き合いがあるのですね。

野末 そういうことだな。

──でも野末先生の世代で、表舞台に立つ方、芸人さんなどと交流されている方はあまり見当たりませんね。

野末 みんな死んじゃったからね。人は順不同で死ぬからな。たまたま、順番がまわってくれば、おれも死ぬだろう。それは当たり前のことだから。慌てても仕方ないよ。

──芸人さんとの関係が深い方で、先生と同世代の方で言うと、作家の△△△△さんも今は執筆活動を休まれていますよね。

野末 △△△△は病気で死ぬだろう。それに、あれは書くだけだろ。世代は似てるけどさ、同じじゃない。

■道楽でしゃべっただけのことで、商業性は一切ないから。

──確かに、先生は書いたり、しゃべったりで、両方されますからね。今年は、出る活動としてYouTubeにも挑戦されました。おそらく、有名・著名人では、最高齢のYouTuberだと思うんですが。

野末 90にもなって、あんなバカなことをするやつはいないよ。面白く観てくれるやつがいればいいけれど、今はまだ、誰が観るか、数字のことは気にしないから。要するに、スタジオはタダで、経費も掛からないから出てくれって、何ももらってないからね。誰ももらってない、ギャラなんて。勝手に内輪でやってるから。それで、数字が少ないけど、別に少なくなっていいよって。金をもらってやるんならまずいけど、観ようが観まいがいいだろうって。もうじき、数字をあげたいと思うかもしれないね、彼らが。まだ、2〜3ヶ月だから。それで日曜日にちょっとするだけだから。

──Twitterでも、歯に衣着せぬ内容を投稿されてますね。最近は、誰も傷付けない内容が主流になっていく中で、先生の投稿は読んでいて痛快な気持ちになります。

野末 おれはやんないと。しゃべっていることを投稿する人がいると。ときに、炎上しそうな過激なことを削除してやってくれてるよ。できるだけ、無難に話題にならないようにやってるよ。

──やはり、90歳になられても、炎上しないように配慮されているのですね。

野末 いや、そうじゃなくてね。関わってるやつが迷惑するからね。そいつに迷惑が関わると悪いから、いまさら有名になっても意味がないからと、きみらの言う通りにするよと、主導権はとらない。そのかわり、15年ぐらいマスコミから遠ざかったから、たまにしゃべるのも健康のためにいいかなとおもってしゃべるのは事実だよ。

──YouTubeの方もそうですか?

野末 YouTubeは、まだ2〜3ヶ月だけど。これからもやるだろうね。しゃべることはいくらでもあるけど、飽きるかもしれないけどね。頼まれてやってるからね。おれが、やりたくて、じゃないけどね。神田伯山とか春風亭一之輔とか、みんなああいうやつもやってるから、出てくれっていうけど、面倒くせぇから。You Tubeが面白くなったらやるかもしれない。

──面白くなれば、炎上しそうな内容も?

野末 うん。受けること、炎上することをやろうって思うけどね、まわりが抑え気味で、そこまでやってない。ほかのやつは本業があるからね。ラジオ放送と落語とか。そっちに影響があっちゃまずいだろ。そこは、気をつけながら、面白いことを思ってやってるよ。だから、ふつうにやってるけどね。

──では来年は、もっとお目にかかる機会が増えるかもしれないですね。

野末 それはねぇ……。考えてもないけど、ないだろうね。90で節目かなと思ったけど、バカバカしくてね、結局テレビでしょ。テレビには出てもいいかもしんないと。でも、バカバカしくて出てもいい気しないねぇ。ネットも、自分で使いこなせないので、無理じゃないの。

──特別版で放送された『言いたい放だい』に出演されたときは、お世辞抜きで格好よかったですよ。

野末 そうかい(笑)。でも、そう観てくれる人は少ないだろ。あれは、やむを得ずに一回は出たけどね。談志との古い番組なので出ないとまずいと思ったので。ギャラも、もらってないし。あれは、出た。でも、出るのは一回。高田くんのラジオも一回。

──Twitterもスタートされていますし、ぼくはずっと追い掛けていきたいですね。

野末 でも、目が悪くてね、キーボードを打てないからね。廃棄しちゃって。ガラケーをスマホに替える用意をしてるんで、来年からスマホになれば、SNSでなにかやれるから。音声入力できるしね。まぁでも、一人だからね。環境は恵まれてなくて、90のジイさんを相手にすることはないでしょ。(立川)志ららは月に1、2ヘン会うだけだし。毎日、会うのは自分一人だよ。自分ひとりで会っても仕方ないよ。あとは、せいぜいNetflixを観てる時間の方が多いかな。

──ぼくが言うのも、おこがましいですが……。もうこの取材は1時間を越えていますが、90歳でこれだけしゃべり続けられるのは単純にすごいと思いました。それに、以前に書かれた本の内容も正確に覚えてらっしゃいますし。なにか、新しいことをされるときには、ぜひお手伝いをさせていただきたいですね。

野末 それじゃあ、アタマと口は世間並みかもしれないね。肉体的な条件は世間から外れてだめだけど。しゃべるのが普通なら、これは世間並みかな。

──おしゃべりは、世間以上です!

野末 いやだって、神田伯山や春風亭一之輔はそこまで言わねぇからね。今更、おべっか使ってくれてありがとう。自信が付いたよ(笑)。

──いえ、本当の気持ちでお伝えしました。

野末 まあ、橋本君の気持ちはこころに留めておくよ。それに、きょうの話はまったく自由だからね。ブログで書いてもいいよ。どこでどう表現したって、問題ないと。念のため、謝礼とかお礼とか一切、必要ない。単におれは暇つぶしの道楽でしゃべっただけのことで、商業性は一切ないから。まったく君の自由だから、運がよかったということだから。じゃあこれで、失礼します、お元気で。

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これまで、多くの方々に取材させていただきましたが、「お元気で」という言葉で締めくくったのは、野末先生がはじめてでした。あんまり詳しくないのですが、これが“粋”なのかなと思いました。今回は特別に“運がよくて”取材ができましたが、次回は“もっと運がよくて”、野末先生の書籍をつくるというお話になりませんかね。期待してるんです。91歳、隠者の書。

■Profile.

野末陳平さん。1932年1月2日生まれ。早稲田大学卒業後、横浜にあったストリップ劇場(横浜セントラル劇場)の文芸部に所属しショーの作・構成を担当。その後、放送作家となり、国産で初のホームドラマと呼ばれた『ママちょっと来て』(1959年〜63年 / 日本テレビ系列)のメインライターとして脚光をあびる。一時、盟友の野坂昭如氏と漫才コンビ「ワセダ中退・落第」を結成し、新宿松竹文化演芸場に出演したことも。当時流行した“放送作家タレント”として、毒舌や下ネタを売りにしたキャラクターでお茶の間の人気者となった。1971年に第9回参議院議員普通選挙に無所属で立候補し繰り上げ当選。以降、政治家として“税金のスペシャリスト”の異名をとるほど活躍。80年代はベストセラー書籍を連発し、10年間で5冊が総合ランキングにランクインする(1980年『55年版 頭のいい税金の本』(第10位)、1981年『新・頭のいい税金の本』(第9位)、1984年『新常識わが家の銀行利用法』(7位)、1985年『わが家の確定申告法』(4位)1987年『62年版頭のいい銀行利用法』(10位)※海江田万里との共著)。政界引退後は、大学教授をはじめ、テレビやラジオのパーソナリティーとして活躍。インタビューでも紹介した『談志・陳平の言いたい放だい』が終了した2008年以降、メディア出演の機会を減らし、今は都会の隠者として暮らしている。

※書籍ランキングはトーハンデータより引用





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