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no. 007 すみれとオレンジのタルト①


静岡県焼津市の友禅作家、西山和恆(わこう)先生のもとを訪れて。

古代ローマ時代に消滅した【古代貝紫】という染色技法を現代に復活させた先生です。


いまいちピンと来ないですよね。

どんな先生かというと、
皇室の美智子上皇后様の納采の儀の着物を仕立てた方で、今も皇室に着物を納めていること。
そして「徹子の部屋」にも出演したことがあること。
貝紫の研究の足跡として、「蘇った古代文明の色」という本を出版し、ギリシャの考古学学会で論文発表をされた方です。
会ったことはあったけど話したことはなくて、今回お話してみて、かなり変わった面白い先生でした。そして、いろんなことを教えていただき、濃く深い時間でした。


そんな先生と繋がった経緯。


私の叔母が先生の弟子で、先生の奥さんがちょっと遠いけど私の親戚なのです。
叔母が有名な先生のもとで着物に絵を描く仕事をしている程度しか知らなくて、ずっと叔母や先生の仕事を見てみたいと思っていました。


BAKESHOP a.ha.akane がオープンして数か月経ち、少し落ち着いてきた頃。
自分のこれからのことを考えるようになりました。
そこで衝動に駆られるように始めた「タビスルアハアカネ」。
それからも自分の中のモヤモヤは消えず、、

昨年末、ずっと行きたかったけど何となく先延ばしにしていた、叔母のところへ行こう!!と決めたのが始まり。


そんな私と友禅作家 西山和恆先生のお話です。






まずは貝紫のことを。

先生が研究した貝紫とは、貝の肉片の中にある袋状(パープル線)の中に入っている分泌液から採取する染料で、古代ギリシャ〜ローマ時代の地中海では、貝から取り出したその染料で紫色に染めていました。
本来その分泌液は、貝が他の生物を捕食するときに吹き出す液であり、自らの生命維持の武器となるもの。
古代ローマのクレオパトラなど英雄たち、そして秦の始皇帝も、彼らにとってその貝による紫色は神の色であり、為政者たちの権威を象徴する高貴な色でした。

あるとき友人との会話から紫色に染める貝の染料が存在していたことを知った先生は、衝撃を受けたのと同時に非常に強く興味を持ち、自分もその紫色で世界の女性が羨望し、美しくなるための友禅染の着物を染めてみたいと思い、研究をスタートさせたそうです。


研究の一連の流れをざっくり説明すると、


①貝の肉片の中から紫色に染める分泌液を見つけ出す。
・その分泌液で着物1枚染め上げるには、どれくらいの貝が必要なのか試算。
・何と25万8千粒の貝が必要。

②貝の大量入手、染料を採集する途方もない作業。
・まだ冷蔵宅配便もない時代に、焼津〜伊豆間を自家用車で約12時間かけて運搬。
 →夏の炎天下で、車の中は腐った貝の何とも言えない異臭でいっぱいになった。
・お弟子さんたちと一緒に貝から染料を取り出す作業。
 →お弟子さんたちは一人、また一人とリタイア続出。

③様々な試行錯誤、染料を取り出す研究と実験を重ねる苦辛の日々
・取り出した生の分泌液で染め上げると異臭を放つ。
 →つまり異臭の取り除いた純粋な染料を取り出す研究をしなくてはならない。
・1個の貝に含まれる染料の量は貝の大きさに比例する。
 →つまり大きな貝を探す必要がある。

④もっとも効率的に染料を抽出できる貝の特定
・これによって、染料と染色法の本格的な研究がスタート。

⑤貝紫と古代文明の歴史の関係性
・貝を特定する中で、貝紫が消滅した理由と古代文明の歴史が密接に関わっているのでは?という疑問を抱く。
・染色の研究スタートと同時に、古代文明が辿った歴史の追求が始まる。



とまぁ、こんな風に簡単に書けてしまいますが、
その研究に対して莫大なエネルギーと財が使われたというのは、容易に想像できると思います。

研究に費やした借金が膨らむところまで膨らみ、崖っぷちに立たされた人生最大の危機。それでもその苦難を乗り越え、研究に邁進し続けることができたのは、たくさんの周りの人たちの応援によって助けられたから。


②に続く。

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