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谷根千は下町か?「根津・千駄木下町まつり」で下町とは何かを考えてみた 1

はじめに 
 
昨日、令和5年10月14日と15日に行われる、根津・千駄木下町まつりの「下町イラストまっぷ」というチラシがポストに入っていた。 
根津、千駄木地区の名所や商店をイラスト地図にした、自分の住む地域なのに知らないところ満載のとても楽しい「まっぷ」である。 
私は新宿区四谷付近で生まれ育った生粋の山の手ジジイで、何回かの引っ越しの後、いわゆる「谷根千」と言われる地域に住んでもう十年になる。 
東京メトロ千代田線の「千駄木」駅・「根津」駅の東側、「日暮里」駅の西側に広がる谷中・根津・千駄木エリアであり、その頭文字を取って「谷根千(やねせん)」と呼ばれ、おもに文京区および台東区に位置している。  

谷中
谷中にある谷中霊園は、15代将軍の徳川慶喜や、日本画で有名な横山大観など、多くの著名人が眠り、園内の中央園路は「さくら通り」とも呼ばれ、春に見られる桜のトンネルは圧巻である。 
その途中には、都の文化財に指定されている幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとなった五重塔跡がある。 

谷中霊園

根津
根津は何といっても、東京十社の一つ、根津神社であろう。 
千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀(そうし)したと伝  えられる古社だ。文明年間にあの太田道灌が社殿を奉建している。
明治維新には明治天皇東幸にあたり勅使を遣わせるなど、古来神威高い神社である。
1705年(宝永二年)、五代将軍綱吉は氏神である根津神社にその屋敷地を奉納、天下普請といわれる大造営を行った。
翌年に完成した権現造(本殿、幣殿、拝殿を一体に作る構造)の傑作とされる社殿は、その7棟(本殿、幣殿、拝殿、唐門、西門、透堀、楼門)すべてが欠けずに現存しているのだ。これらは国の重要文化財に指定されている。
ご祭神は、須佐之男命、大山咋命(おおやまくいのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと・応神天皇と同一神・八幡神)
大国主命、菅原道真公
また、境内はつつじの名所として知られている。 
つい神社のことを熱く語ってしまった。

お祭りでにぎわう境内
露店がたくさん出ていて楽しい
参拝者で混み合う休日の根津神社楼門付近
境内のつつじ

千駄木
千駄木には、川端康成、北原白秋、高村光太郎、夏目漱石、森鴎外など、多くの文人が住んでいた。漱石の『吾輩は猫である』も千駄木にある家で執筆されたという。また千駄木のお屋敷町にある「旧安田邸」は、大正8年に実業家の藤田好三郎氏によって建てられたもので、家屋、インテリアや庭園までもが当時の佇まいのまま維持されている。 
 
ざっと説明すると、こんな町である。 
数年前から、注目を浴びている地域で、なんとなく昭和レトロな「昔ながら」の街並みが売りになっている。 
東京23区の中心地に近く、表通りはマンションなどが立ち並び 他の町とさほど変わりはないが、一歩路地裏に入ると昔ながらの東京の風情を残す、歴史と情緒が溢れる地域で、有数の散策スポットでもあり、人気エリアにありがちな浮ついたところがなく、とても住みやすい町だ。私が子供の頃東京の町並みはみんなこんなだった。 
私は気に入っている。 


根津交差点付近


千駄木2丁目付近
根津の路地裏
千駄木の路地裏

「谷根千」は下町なのか 
 
これから述べることは、他府県にお住まいの方や東京でも都区部以外にお住まいの方にとってはピンとこなかったり、どうでもよい話であるかも知れないが、そこはご容赦願いたい。 
谷根千をグーグルで検索してみると、「下町」として語られていることが多い。手元にあるイラストまっぷでも「根津千駄木下町まつり実行委員会」は下町を自称している。 
この自称下町、というのがくせ者なのだ。 
しかし・・・一方で、ここいらが下町? これは私が長年感じてきた強烈な違和感である。山の手じゃないの? 

そう、谷根千はまさしく山の手なのである。 
なぜ本来山の手であるはずの谷根千がマスコミも含め、広く下町と認識されているのだろう?  
徳川綱吉もまさか自分の屋敷が下町だとは思っていなかっただろうから、そこが下町まつりのメイン会場になるなんて、さぞ驚いているに違いあるまい。
(根津神社は根津・千駄木下町祭りのメイン会場)
このほぼ定着している奇怪な現象を受け入れ、その裏で何が起きているのかを考察してみよう。
東京には都区部を中心に山の手・下町といった通称の広域地域が存在する。しかし、通称の広域地名の呼称であり行政区分ではないため、その範囲は人によって異なり、 時代によっても変化しているのだ。行政区分ではないし、地理的な区分も人によって違う。
つまり、何代にもわたって都区部に住んでいる人、昭和時代に親や祖父母が上京してきて都区部で生まれた人、本人が上京してきて都区部に住んでいる人、隅田川の西側に住んでいる人、東側に住んでいる人 本人の年齢その他、それぞれの人が持っている知識、情報、感覚によって山の手、下町という範囲の認識は全然違うのだ。 要するに人によって認識が違うということなのだ。
 
ここで設定する二つのリサーチクエスチョンについて考えてみる。 
〇東京における下町とは何か? 
〇谷根千は下町か? 
というわけで、東京の下町の定義について調べてみた。

                          2に続く 


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