ライフ±ハンデ

ハンディキャップって説明できますか?
僕自身、視覚障害を持ちながらも、なんとなく曖昧だったもんで調べてみました。

「三省堂 大辞林 第三版」によると、

ハンディキャップ [4] 【handicap】
①不利な条件。また,それによって生じる不利益。ハンデ。 「 -を乗り越える」
②機能障害(impairment),能力障害(disability)に対し,社会的不利。
③競技や勝負事などで,優劣を平均するために,強い者に加える負担。ハンデ。
④ゴルフにおいて,ゴルファーの技量を示す尺度。コースの難易度と個人の一定期間のスコアから算出される。実力差のあるプレーヤーどうしが互角に勝負することができる。ハンデ。

だそうです。

なるほど。腑に落ちました。
いや、そもそも僕がなぜ「ハンデ」を曖昧に感じていたかというと、

普段は②からの①な意味合いに馴染んで日常を過ごしていますし、社会福祉においては、これが一般的な概念なんだろうなと思うわけですが、

①不利な条件。また,それによって生じる不利益。ハンデ。 
②機能障害,能力障害に対し,社会的不利。

ごくたまに、③のような考えに至ることもあったりもします。

③競技や勝負事などで,優劣を平均するために,強い者に加える負担。ハンデ。

①の不利益を感じ過ぎた後などに、ふと③に、つまり「ま、これくらいのハンデがないと面白くないだろうしな」みたいな強者の視点に変わる時が。何様?なんだけど。

そしてそして、④を感じることもあるんです。

④ゴルフにおいて,ゴルファーの技量を示す尺度。コースの難易度と個人の一定期間のスコアから算出される。実力差のあるプレーヤーどうしが互角に勝負することができる。ハンデ。

いや、ゴルフはしないんですが、ハンデによって自分のスコア(気分?)がそれなりのものになるという意味で。

視覚障害がある僕は、きっと「ありがとう」を言う機会が人より多いんじゃないかなと感じています。比較はできないけど、単純にサポートしてもらう機会が多いし、優しさに触れる機会も多いと思っています。

回数以前にその気持ち(質)が大切だろうことは理解しつつも、「ありがとうの回数と幸福度は比例する!」なんてことがあながち間違いではないのなら、僕はハンデを”得てる”のかも知れないなと思うわけです。

その他にも「ハンデのおかげで」と表現できそうなことは多々ありまして、障害と認められない程度に不自由な人よりも世間は理解と優しさをくれているような気がしなくもないわけで。

そんな経験を繰り返しているうちに、ハンデの意味が分からなくなった次第です。

ハンデを得ているのか、ハンデを背負っているのか。

ライフ±ハンデ

結局は、人間万事塞翁が馬

☆PEACE☆

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