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【思考(おもかん)】ちょうどいい距離

こんにちは。おおかみの人です。

今回のトップ画像は、ソーシャルディスタンス。
(以下のサイトから素材をお借りしました)




人と一緒にいる時間が増えた。

コロナになる以前からほとんど引きこもり状態だったわたしは、昨年の入院で主治医が変わったのをきっかけに、自分に元からあった社交的な部分が花開いて、仕事でさまざまな生徒や先生方と接することはもちろん、いつものカフェ(にじのま)で顔なじみの知り合いが増えてよく交流するようになったし、週に1度は訪看さんと日頃あったことをああでもない、こうでもないとぺちゃくちゃ喋ったりしている。

仲のいい人、気の合う人が増えたのは、とてもいいことだな、と思う。
それでもやっぱり、人間関係がうまくいかないこともある。


わたしは結構単純な性格をしていることもあって、人の感情の機微みたいなものを察するのが下手くそだ。だから、繊細な事情を抱えた人とのやり取りでは「しまった」が限りなく多い。
「また、自分が不用意に発言したことで人を傷つけてしまった…」と、幾度となく後悔してきた。

でも、今となっては必ずしもそうは思わない。

対人関係において、「100%」というものは存在しない。2人の仲は2人が一緒に築いていくものだ。だから、2人の関係に「100%」はあり得ない。ひとつひとつの出来事によっても割合は違うが、それが50:50であったり、30:70であることはあっても、100:0や0:100になることはない。

かつてのわたしは、対人関係において何かよくないことがあると、すべてを自分だけのせい…つまり100:0だと考えることが多かった。いわゆる「白黒思考」というやつだ。

自分が悪い。相手は何も悪くない。
自分がしたこと、言ったことが何か相手をひどく傷つけてしまったから、関係がうまくいかないに違いない。

でも、いま思えばそんなわけないのである。


先に述べたように、わたしは人の感情の機微を察するのが難しい。たとえば、俳句があったとして、その情景を思い浮かべることはできてもそこに乗せられた人の気持ちにまでは気づくことができないし、国語のテストで「主人公の気持ちを答えよ」と言われてもさっぱりわからなかった。

でも、正直そんなもの察さなくてもいいんだな、と最近は思っている。

デリカシーがないのかも?と思うことはあるが、正直自分のことに必死で他人の感情の揺れ動きにまで気を遣っているヒマがないのである。そこまで気にしていたら自分がパンクしてしまう。

そして、この「感情」というものに関しては、さくら先生や桃子先生との関わりの中で学んだことがある。

それは、

自分の感情には自分で責任を持つ

ということだ。


それはつまりどういうことか?

たとえば、わたしがある出来事に対してモヤモヤしたり、イライラした気持ちを抱えてしまったとする。そのときに、かつての自分であれば、

「イライラすれんて!わけわからんしモヤモヤする!」

という感情を、周囲の人間にそのままぶつけていた。その姿はそのまま、「自分の感情に無責任な人」のそれである。


では、いまの自分はどうなのか。

同じイライラやモヤモヤを抱えたときに、その感情を他人に爆発させず、まず自分の中で噛みしめる。「ああ、自分はこういうところにイライラ、モヤモヤするのか」と知る。そして、そのイライラやモヤモヤの原因を探っていく。そして、自分がほんとうはどうしたかったのかという、自分の中の課題に気づいて、それに対処していくことで、気づくとイライラもモヤモヤもなくなっている…というのが、最近のわたしだ。


これ、わたしの中では今年いちばんの変化だと思うのだが、皆さんはどう感じるだろうか。


日頃生きていて、感情の揺れ動きは確かにある。
それが「機微」というならそうなのだろう。
でもわたしは、その機微を人に察してもらおうとは思わない。そもそも人の感覚はそれぞれ違うのに、そんなことを理解してもらおうと思うだけ無駄である。

だから、「わたしの感情の揺れ動きを理解してもらえなかった!」とわたしに感情を爆発させる人を見ると、少し前までの自分を見ているような気持ちになって、かわいそうだなと思うと同時に、

「ああ、そうか。この人はこういう人なんだな」

と思って、良くも悪くもその人のことを諦められるようになった。
きっとその人も、人間関係を白と黒で片付けてしまう人なのだろうな、と思う。それに同情はするが、いまのわたしはその事情のすべてを飲み込もうとは思わない。なぜなら、自分の感情には自分で責任を持つべきだと思っているからだ。


世の中には確かに、そういう人もいる。自分が少し前までそういう人間だったのだから、そりゃあそうだ、と体感をもってわかる。だからといって、そういう人に肩入れはしない。それをすると自分が疲れるし、いいことがない。他人に自分を振り回されるのはごめんだ。

そして、そういう人に出会ったときには、いままでのその人との距離を見直して、距離が近すぎたのなら適切な距離を取り直す必要がある、ということも、最近やっと覚えた。

この「距離を取る」部分に関して言えば、わたしはまだまだ下手くそだなと思う。わたしはまだ、相手に悟られぬように距離を取ることができない。それができてこそ、対人関係の築き方において真に「大人になった」と言えるのだろう。


いやあ、それにしても、今年のわたしは成長したな。
歳なりの自分に、やっとなってきたと思う。
小さな子どものまま止まっていた自分の時計が、一気に動き出したのを感じる。

そうだ。この成長を、今年できたこととして、今年最後の診察でさくら先生に伝えよう。きっと、わたしの成長をいちばん近くで見守っている彼女なら、喜んでくれると思うから。


今回の記事はこれでおしまい。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

次回もお楽しみに。それでは。




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