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スパイダーマン パート3を観て

善か悪か又はその両方か。

人間誰しも善も悪も持っている。というより表裏一体だ。

あらすじを説明すると、主人公のパーカー(スパイダーマン)はベンおじさんを殺害した本当の犯人を知ってしまう。その恨みを正義だと勘違いしたパーカーは自身の悪意に侵食されてしまう。一番大切にしていた彼女までもを傷つけてしまい我に帰る。
悪意を克服したパーカー(スパイダーマン)だったが、悪意だけが独り歩きし他人に乗り移り街中を震撼させる事態が起こる。それにパーカーはどう立ち向かうのか。

私は観ていて違和感を覚えた。やけにパーカーだけ「贔屓されている」と。
パート1のネタバレになるが、パーカーはハリーの父を殺しているのである(正当防衛が認められなければ無罪)なのにヒーロー?今回のベンを殺した犯人マルコと同じなのではないか。
なのに何故マルコは恨まれパーカーだけが許されるのか。そして自身が生み出した悪意によってたくさんの他人を傷つけているのに全てパーカーに同情するようなストーリーなのか。

スパイダーマンパート3は善悪の話だった。
「善」とは一体なんなのか。「善人」とは何をもって「善人」というのか。
パーカーみたいに普段は「善人」だけど手段を選ばない人もいれば、マルコのように経歴は「悪人」だけど娘を助けたい一心で悪事に手を染める人もいる。

この世に100%善人もいなければ100%悪人もいない。
自分が他人を判断する時、その人がたまたま「善」だった時だけをみて「善人」、その人の行いがたまたま自分の気に食わない行動だった時は「悪人」という。
無意識の我儘である。でも、その我儘も時に味になるのだから人間って面白い。

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