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板書中の静かな教室で起きた出来事が衝撃的だった、っていう話

「誰だ、歌うたってるのは!」

黒板に向かっていた先生は、そう言いながらガバッと振り向いた。

忘れもしない、中学2年、国語の授業中の出来事だった。

真面目に黒板を写す子もいれば、ここぞとばかりいたずらをする子もいるけど、教室に響く音は先生のチョークの音だけ、という比較的静かな時間帯が板書の時間だ。

中学生の頃って、なんとなくざっくりと「目立つ明るい子」と「目立たないおとなしい子」「そのどちらでもない中間の子」っていう、目に見えない色分けのようなものが、先生や生徒たちの中でもあった気がする。

そんな分類でいうと、私は自他ともに認める「目立つ明るい子」だった。
「人気者」と言っていいかどうかはわからないが、クラス会長くらいは何度もしていたし、友達も多かった。

お勉強もできる方だったし、積極的に発言をするタイプだし、弱いものいじめとかもしなかったので、先生たちからも一目置かれていた、と思う。

そんな風に書くと、いわゆる「優等生」を想像してしまいそうだが、決してそんなことはない。まあ、優等生もどきの、何かと卒のない中学生だったとは言えるかもしれない。

子供時代を振り返って、どの時代が一番楽しかったかと言われれば、私は「中学時代」と答える。
勉強ができて、友達も多く、先生からも好かれていて、毎日楽しかったあの頃は、まさに輝ける私の青春時代だったと言えるだろう。そうそう、一応彼氏もいたしね!

そんな青春のど真ん中、輝かしい思い出は山ほどありそうなのだが、今になって思い出すといつも出てくるのがあのシーンなのだ。

「誰だ、歌うたってるのは!」

先生がそう言って振り向いた時、静かにノートをとっていた生徒たちは、一斉にビクッとした。

もちろん、私もその一人だ。

その瞬間に私が思ったことは、
「え! そんな人いるの?」
ということだった。

今ここに、授業中のしーんとした教室に、歌を歌っている人間がいる? そんなことあるの? と一瞬にして考え、驚いたのをおぼえている。

そしてさらに驚いたことは、「誰だろう?」と思って教室を見回した時、クラスの全員が私を見ていたことだ。

その衝撃たるや、ご想像がつくだろうか。

ちょうど私は、教室の真ん中あたりに座っていた。
不思議なものでああいう時って、まず人は首を後ろに回してしまうんだよね。全体を見よう、という無意識の動きなんだと思うけど。
右の後ろを見ても、左の後ろを見ても、もちろん、前方を見ても、全員が私を見ていた。

「え? 私? 私って、歌ってるの?」

これだけ読んだら、意味不明な日本語だ。

自分が歌っているか歌っていないか、わからないなんてことがあるだろうか?

あるのだ。あったのだ。

先生がどんな反応をしたか、それを私は見ていない。(それどころじゃなかったからね)
でも、どうやら先生は「なんだお前か」という感じで、また黒板に向かって板書を続けたようだ。

「授業中に歌とは何ごとだ!」
くらい言いたかったのかもしれないけど、優等生もどきの私だったので、怒りにくかったのかもしれない。

おそらくそれはほんの数秒の出来事で、同級生もすぐにノートに目を移していくんだけど、誰かがつぶやいたのが聞こえた。
「〇〇ちゃん、いつも歌ってるじゃん」

えー! 私って、いつも歌ってるの?
と、これまたビックリ!

「授業中も結構歌ってるよ。別に迷惑なほどじゃないから言わなかったけど、自分でわかってると思ってたよ。だから今日も、また歌ってるわ、くらいにしか思ってなかった。ハンプティ・ダンプティは初めて気づいたってことじゃない?」

あとからクラスメイトに言われてショックを受けた。

クラスメイトよ、さぞかし邪魔くさかったと思うのだが、何も言わずに歌わせていてくれてありがとう。どうりでいつも気分がよかったわけだ。

あたたかいクラスメイト達のおかげで、私は私らしさを損なわず、そんな自分を無理に変えようとはせずに成長した。

それから十数年が経っていただろうか、十分に大人になった私は、ある日偶然テレビで宇多田ヒカルを取り上げている番組を見た。番組名はおぼえていないけど、宇多田ヒカルの日常にカメラが密着しているような構成だったと思う。

宇多田ヒカルはご存じだろう。
言わずと知れた天才シンガーソングライターだ。
彼女が世に出て来た時の衝撃は今でもよくおぼえている。
「何この子、天才か!」と思ったよね。

普通に好きなので、その時もなんとはなしにその番組を見ていたのだが、そこでまた、衝撃的なことがあった。

「宇多田ヒカルは、いつも歌っている」
というのだ。

いや、それのどこが衝撃的? と思うかもしれない。
いつも、というのはつまり、無意識で小声で、日常的に歌を口ずさんでいる、と周囲の人々が証言し、実際にそういう何気ない風景がカメラに収まっていた。

私と一緒だ!

と思ったのは言うまでもない。

なんて図々しい! っていう話なんだけど、その時の私は少なくともそう思って嬉しかったのだ。

天才宇多田ヒカルと一緒だなんて。
一歩間違えば、私は歌手になっていたのではないか。

「〇〇ちゃんは授業中でも、いつも歌を歌っていましたよ。ある時先生が「誰だ!」って言ったこともありました」
なんて、同級生がインタビューされるところまで妄想は飛躍して、にやついていたのもおぼえている。

図々しいにもほどがある。

それにしても、自分が歌っていることを自分でわからないなんて、私はおかしいのではないだろうかと、あの頃の私はちょっと胸を痛めたりもしたものだ。10代でこれでは、将来どんなことになってしまうのだろうかと。

あれから数十年、今では「アレがアレで、アレだから」と、いろいろと言葉が出てこない立派なオトナになっている。あの頃心配した未来に来たようだが、まあ、そんなオトナは私だけでもないから、正常な年の取り方ともいえるだろう。

ふと気づけば、歌を歌っていたりもするから、そういうところは変わっていないようだ。

残念ながら天才の証ではなかったけれど、無意識に鼻歌をうたえる人生は、それはそれで幸せなんじゃないかなって思っている今日この頃の私です。





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