快適な都市生活の代償
仕事帰り。渋谷駅の新南口へと向かう道すがら、完成間際の"噂"のビルの下で立ち止まり空を見上げた。
環境の変化、街の進化への期待と裏腹な、重く深い感情を感じた。
理由はすぐわかった。
前の週に訪れたのは鹿児島県肝属郡。「自身の理想とする朝焼けを眺めれる場所」を求め、日本中を探し歩いた友人のゆうじ氏が移り住んだ場所だ。
そこは電車やバス、コンビニも無く、通信も圏外。
でもそこには、都会で生活する我々が便利さの代償として支払った全てがあった。海山空、無垢な自然と共生する生活、人とのふれあい。
そこで見た幾千の星は、渋谷の狭い空では到底見つけられないだろう。
どちらかを得ようとすればどちらかを失う。皮肉な話だ。
都会にいると、
見えるものに価値を感じようとしてしまう。
そして自分一人で生きていると勘違いする。
全ての存在は、相互に作用し、互いに生かされている。
大きく欠けた空は、そんな忘れかけた当たり前を教えてくれた。