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置いていかないで

 高校3年生の3月。卒業式が終わり、緊張から解放されて晴れやかな表情を浮かべた皆が体育館を後にする。寒い冬が終わりを告げ、暖かな季節の到来を予感させるこの日、私はそれを外から見ることしかできなかった。
 心身を崩して欠時数がかさみ卒業できなくなった私に、卒業式の席はなかった。それでも前日の予行練習には参加し、担任の厚意で呼名をしてもらう。どこか緩んだ空気の中、名前を呼ばれて涙が溢れそうになり慌てて堪えた。私を見る担任団の視線がまるで憐れむようで辛くなる。これが私の卒業式。明日までに笑顔にならなければならない。
 卒業式当日、私の武器は一眼レフだった。「卒業おめでとう」と書かれた胸飾りをつけて、体育館に入場する皆を撮影する。カメラ越しならこの現実も物語として受け入れられる気がした。そこまで親しくない同級生がカメラに向かって楽しげにピースをする。事情を知っている友人が私に向かってただ頷く。ひたすらにシャッターを切る。切る。
 式典が始まり、呼名で私の名前がちゃんと飛ばされたことを確認した。これで最後となる校歌を口ずさみ、退場を見送るためにそっと体育館の出口に向かう。しかし、入場の時と違って私に目を向ける人はあまりいない。その瞳には未来ばかりが映っていて、誰も過ぎたことは見ていないようだった。あの体育館の中で高校時代は思い出となり、それぞれがこれからの新生活を迎える支度を整えていた。通過儀礼をこなせなかった私だけが取り残されたのだ。
 置いていかれる。

 1年の浪人生活を経てなんとか大学生になった私はサークルで新たな友人を得た。しかし面白おかしく日々を過ごしても年月は平等に訪れる。4年生となる春を前に、同期が集まればもっぱらの話題は就活だ。インターン、説明会、自己分析……大事な分岐点を前に皆の纏う空気が変わる。私はと言えば、途中で大学に入り直したため未だ大学2年生。その大学も卒業が難しく、春から高校に入り直そうと考えていた。とてもじゃないがまだ就活はできない。今も心身の調子が良くないため、たとえ高校を卒業したとしてもすぐに働くことは考えられない状態だ。
 順調に4年で大学を卒業する目処をつけ、就活にも一生懸命取り組む友人たち。長すぎるモラトリアムは見向きもされず、忘れ去られる運命にある。私は誰も顧みない思い出の隙間に宙ぶらりんになっていた。
 また置いていかれる。

 私が私なりのスピードで進むなか、周りは当たり前に私を置いていく。「周りのことは気にせずに、自分のペースで進めばいいんだよ」と笑顔で言った人たち。その通り。全くもってその通り。私はそんなあなたたちの顔を一人残らず覚えている。
 あなたがとうに過ぎ去り思い出にしたその中で今も私は生きている。あなたが無意識に越えた段差に未だにぶつかっている。すべてを引きずり、傷をつけながら。そんな私に「自分だけの道を歩んでいて羨ましい」と言ったあなたへ、私はあなたが羨ましくて死にそうだ。血反吐を吐いても戻れない道を軽やかに進む姿はあまりにも眩しくて、私の立つ場所を嫌でも知らしめた。目には残像が常にちらつき消えなくなってしまった。
 もちろんこれは過去からの幻聴であるからあなたは気にする必要はない。こんな過去なんか振り返る時間はもったいないし、私を置いてはるか遠くへ行ってくれて構わない。その健やかな足でどんどん歩み、私が決してたどり着けないところまで。そうしてあなたは素晴らしい景色を目にするのだ。道を外れた仲間などに情けをかける必要はない。そんな奴など置いていけばいいのだから。

(2022年2月6日)


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