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20230129 日記 自己実現の話

特にオチのない日記。
「最近のアラサーってそんなにハングリーじゃないよ」って思ってたけど、私自身(ハングリーじゃない)と、私と親しくしてくれている似たような経歴のひとたちという偏った観測範囲の極めて少ないサンプルを見ていたからそう見えていただけでした。
先月の電気代が10,000円を超えていることに気がついて、やっとちょっと色々考えて生活したほうがいいかな、、、とか呑気なことを言っているアラサー独身会社員、東京近辺在住わたし。最近、ひょんなことからバリバリにハングリーな30代のひとたちとちょっと親しくなって、世界が広がったりしています。改めて、なんだかんだなんとなく大学を出て、そのお陰でそこそこに安定したサラリーマン生活をしていることの呑気さと、それがいかに恵まれていることであるかを感じたりしている。

就職活動をするくらいの時期に思い浮かべた、現代日本の若者的「そこそこ贅沢な暮らし」を今手に入れていると思う。都内でひとり暮らしをして、貯金もできて、娯楽もある。(まあちょっと、あんまり遠い未来のことを考えてなくてシビアさが足りてないだけの可能性もあるんだけど。)
だけど、いつまでもこの生活を続けるのなんか嫌だな、とか、なんとなく退屈だな、とか思っている。ハングリーなひとたちを見るとなんとなく負い目を感じるというのもある。”持てる力”を最大限に発揮できるように努力してこそ美しい、みたいな。それは、生まれた環境が恵まれていて、そのままそのぬるま湯で暮らしていることに対する負い目でもある。自分があがいて手に入れたものではないから、威張れることが何もないと感じる。

結婚を求める人がたくさんいるのもよく分かるようになってきた。一人で過ごしていると生活に変化がないし、社会人生活が長くなってくると生きがいみたいなものが見つけづらい。同年代は少しずつ”人生の伴侶”を得て、子育てに奔走したりしていて、毎日やることがいっぱいで充実しているようにみえる。普遍的に、システムとして考えると、そういうのも悪くないんだろうなって思う。どうせ何者かになれるわけでもないし、そういう野望もないし、だけど生きがいみたいなものがほしいという贅沢な欲求。家族を営んだり、次の世代の人間を育てたり、結婚や出産によって分かりやすくシンプルな生きがいを手に入れることができるのかな、とか。失礼な物言いであることは自覚してるけど、あくまでも普遍的な話として。

もしできることがあるとすれば、もしやりたいことがあるとすれば、恵まれていたと感じる環境に生まれたことを少しでも、そうではない人たちに還元することなのだと最近はそう思う。そうして初めて誇りみたいなものを持てるような気がする。罪滅ぼしや償いの気持ちに近い。
まあ、こう書いただけではなにもできてないんですけどね。

日記おわり。ヘッダーの写真は1,490円の夜ご飯。


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