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同担拒否の話

「推し」がいれば、「同担可」「同担拒否」なんて言葉も付随するものかと思った。

私は基本「同担拒否」です。

この言葉が一番手っ取り早く分かりやすいので使ってますが、「同担」が存在することは承知だし、全然構いません。
ただ「同担」の人と友達にはなれないだけです。

「同担拒否」を名乗る方の大半は「同じ対象が推しの人とは仲良くなれない」だと思います。私もそうです。
ただ私の場合は自己肯定感の低さ故にです。

そもそも「同担」は、「推しが同じの人」ですね。
要は芸能人など「好きな〇〇」が被ってる人ですね。

私は同担を見つけると、自分の好き度との差を見つけてしまいます。人と比較をしてしまうんですね。
「あの人、私よりも推しが好きだ」と分かると、「あの人の好きを超えられない自分の好き」に対して自己嫌悪に陥ります。
推し度、好きな度合いが大きいほど自己嫌悪も大きくなります。
ここの「あの人」の好きがライトなものでも、自分の好きポイントが違うと、「あの人が好きなポイントを好きになれてない」ことに対して自己嫌悪になります。
自分以上に狂った愛を向ける人を見ると、急に冷めます。

面倒くさいなと思った方、私もそう思います。
面倒くさい自覚はあります。
だからこその「同担拒否」です。
自己防衛の結果の「同担拒否」。

面白いことに、数少ない友人と推しは被ってません。
というのも、おそらく無意識のうちに、友人の推しを好きになってはいけない、と思ってるからでしょう。
友人の推しの動向をチェックはしているけれども好きではない、という。

では友人が私の推しを好きになってしまった時はどうなるか。
今のところ、そういったことになったことはありませんが、おそらく「私が推しのことを好きじゃなくなる」になるかと思います。

好きになってほしくないからか、推し活に友人を巻き込みたくない、防衛本能があります。
友人に「同担拒否」という話は少ししたことがあるので、好きにならないでという防衛線も張ってます。

いやあ、面倒くさい。

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