詩織さんの理解力と記憶力について:「裸で泳ぐ」分析

伊藤詩織さんの中学時代の大病が、極度の低血圧による失神であることは「裸で泳ぐ」のP16に書いてあります。
同書が発行される前のことですが、病気の影響で詩織さんの理解力や記憶力に障害が生じたのではないかという推測を書いたことがあります。

この推測は私の中では未だ生きています。
というのも、詩織さん自らが「裸で泳ぐ」の中で次のように語っているからです。

『日本語は母語のはずなのに、時々、人の話についていけなくなってしまうことがある。特に仲の良い間柄だと、聞き手に理解されている、という前提があるからだろう。主語がバンバン抜かされる、飛ばされる。
「え、それ誰の話?」「なんの話?」「あの話なんだけど、ってどの話?」
 いちいち聞くと話を中断してしまうので、できるかぎり想像力を働かせながら、筋を追ってみる。話が進むにつれ、ああ、この話だって理解できたりする。永遠に何の話をしてたのか、わからないこともある。』(P97「主語 日本語研究3」)

『このところ本当に忘れっぽい。昔からそうだけど、事件以降は、物事をさらによく忘れる。』(P110「マラサダ」)

『このあいだ、銀座で働いたことを書いた。飲みの席での対応など、なかには困ったこともあったって書いた。編集の堀さんからはどんなことだったのか、もう少し詳しく書いてくださいとノートが返ってきた。でも具体的な話は一切思い浮かばないのだ。嫌なことは頭から、記憶から消しているのかもしれない。だからその先を書けなかった。』(P119「悪夢の進歩」)

もっともらしい言い訳をしていますが、記憶力と理解力に何らかの欠陥があることを当人が認めているわけです。

     *     *     *

「裸で泳ぐ」の中にこんな描写があります。

『「しーちゃんさ、試験中、気づくと机に突っ伏して寝てたよね」
 名前順が私の次だった高校からの友人、かずきはよくこの話をする。
「起こしてあげないと先生に怒られるから、必死に椅子を蹴って起こしてたんだよ。覚えてる? 高校卒業できたこと、私に感謝だから」
 特に国語の授業はひどかったらしい。「机の上にさ、教科書じゃなくて『クーリエ・ジャポン』と地図帳が置いてあるんだもん。そりゃ先生に嫌われるよ」。確かに、国語の教師からの当たりはとりわけ強かった。
 漢字を想像で読んでしまうことは今でも多々ある。恥ずかしいので、「海外生活が長いから」と言い訳しているけど、本当は、国語の時間に真面目に勉強してこなかったからだ。』(P70「大学で学ばなかったこと」)

『朝方までブラジリアンバーで働いた後は、ファミレスで朝食づくりの仕事、そのあと短大に直行していたので、教室の机は私の枕だった。かずきはもういなかったけど、今度は短大で出会った友人のナタリーが、私の使えないノート(よだれでびしょびしょになった跡がある)に代わり、綺麗にまとまったノートのコピーをくれた。』(P72「大学で学ばなかったこと」)

単に学校の授業も試験問題も理解できなかっただけではないでしょうか。
教師が何を言っているのか分からないから『クーリエ・ジャポン』を眺めていただけのことでは?
短大でも教師の話が理解できなかったから、ノートをとることもできずに寝ていたのではないですか?


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