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『女は自宅で洗濯ばさみで髪を止めない』とトレンド炎上したイラストの漫画『生徒会にも穴はある!』を購入して読んでみたら、そういう人ではなかった話、というかすごく優れたマンガだった話

発端は、講談社で連載中の漫画『生徒会にも穴はある!』公式のこのツイートであった。

このイラストに対して、「女は自宅でブラジャーの後ろだけ外したりしない」という主張をする人たちが現れ、それに対して「いや私はするけど?」「おかんがよくやってる」などの反論が出た。やがて論点は「女は自宅で洗濯ばさみで髪なんか止めない。女のことをわかっていない」「そもそも洗濯ばさみでポニーテールの髪は止まらない」「いや止める、止まる」という論点に移った。

健全な社会人の皆さんは「バカじゃねえの」と思ったかもしれないが、これがツイッターの日常である。「漫画の絵を焼く者はやがて人を焼く」「この男の基本姿勢、『女のことは女より男が分かってる。女の言葉は信用ならない』はオタクに限らず全方面であるし女の生活や生命をころしにかかるから見てると血圧上がる」と言った、とてつもなく論点を巨大化するツイートが飛び交い、議論は紛糾する。ちなみに前者を書いたのはcdbちゃんである。お前かよ。すみませんでした。

ところが、こういうツイートがあった。 

happy worldさんはツイッターで相互フォローの人である。このツイートにあることが本当なら、ツイッターで侃侃諤諤の議論はまったくその出発点から的を外していることになる。

というわけで。Kindleで『生徒会にも穴はある!』を購入して読んでみた。第一巻が今月出たばかりだ。

うむ。

結論から言おう。ちなみにこの改行して「うむ。」と入れるのは小田嶋隆さんへのオマージュである。みんなからの文体に影響を受けて編集に直されたものなのだ。全然結論から言ってないな。

結論から言い直そう。マンガとして非常に面白かった。いやそこではないな。このイラストの女性教師は、平塚敏深(さとみ)という名前のキャラクターであり、主人公の高校生、天才文学少年だが他教科成績不振の少年、水之江梅を生徒会に招き入れる女性である。happy Worldさんの言う通り、学校でもこの髪留めをしている。この記事のアイキャッチ画像にもしたが、教室で生徒に勉強を教える時もこの髪留めをしている。ただしてない時もあるので常にではない。マンガの中では特にこの髪留めについては言及がなく、「洗濯ばさみで髪とめるなよ〜」とか「その髪留めなんですか?」みたいなツッコミも一切ないので、これが洗濯ばさみなのか、それとも洗濯ばさみに似た形のヘアクリップなのかは不明である。教師が洗濯ばさみをつけて授業をしていたら注意されそうなので、これは洗濯ばさみではないのかもしれないし、一風変わった女教師として描かれているので、周囲がそういうものを自然と受け入れているのかどちらもありあるだろう。(そもそも洗濯ばさみにしては持ち手が小さい気もする)だがいずれにせよ、

作者が『自宅にいる時に女性が洗濯ばさみで髪を留めることがリアル』という解釈で描いたイラストであることを前提にしたツイッターの論争はまったくの的外れである

ことは確実に言える。職場でもこれをつけているキャラクターなので、一種のアクセサリーと解釈するべきだろう。洗濯ばさみで髪が止まるかどうかの論争にしても、作品の中で勤務中にずっと髪をとめているのだから、強力な洗濯ばさみなのかもしれないし、洗濯ばさみに似たおもしろヘアクリップなのかもしれない。いずれにせよそういう特殊なキャラクター設定で描かれているのである。つまり

この洗濯ばさみ(らしき髪留め)は、平塚敏深という女教師の奇妙なセンスとフリーダムな自堕落さを象徴するファッションアイテムであり、べつにアラサー女性一般の生活的リアリティを描いたものではないのである。いわば『おそ松』くんのハタ坊の頭に立てられた日の丸のような記号である。

ということが言える。最初に公式アカウントがツイッターに投稿されたイラストには「賞味期限が切れてない食材を探して深夜冷蔵庫を漁るアラサー女性教師の図」という文字が添えられていたため、この漫画を読んだこともない、これが平塚敏深というキャラクターであることも知らない人々が勝手に「これはアラサー女教師一般のリアリティについての図解である」と解釈して賛否を論じ始めたわけだ。まるでハタ坊を知らない人たちがおそ松くんのイラストを見て「普通の小学生は頭の上に国旗を立てたりはしません」「児童の精神を国家表象で支配しようとする意図を感じる」「そもそも頭の上に国旗を立てようとしても上手くいきません。この漫画家は頭に国旗を立てたことがないのでしょうか?」「いや、国旗を立ててみたけど不可能ではないですね」と論じ始めてしまったように。

普通はここで「な〜んだ」と解決する。単なる誤解から発生した笑い話以上の何者でもない。でもたぶん「賞味期限が切れてない食材を探して深夜冷蔵庫を漁るアラサー女性教師の図」というキャラクターを描写する文言を「まるで一般的な女性であるかのように誤解させた、落ち度があった」と強弁する人たちは現れるだろう。「私たちは誤解したのではない、不適切な説明によって誤解させられたのだ」と、意味もなく殴りまくった相手を逆に吊し上げる糾弾テクノロジーが、ツイッター上では完成されているからだ。しかしもちろん、

投稿しているアカウントが連載漫画の公式であることも確認せずに「このイラストは女性一般についての平均的解釈を社会に押し付けている」と一方的に解釈する方が異常なのであって、謝罪する必要はまったくない

ことは明記しておきたい。「我々が誤解したのにはそれなりの理由があった」と言うのはいい。だがそれは公式が「配慮」しなくてはならないようなものではない。あらゆるものを「我々についての平均的中央値、もしくはあるべき姿を押しつけている」と解釈して修正を求めるなら、「一般」や「規範」から外れた多様なキャラクターを描くことなどできないからだ。

『生徒会にも穴はある!』に登場するキャラクター、平塚敏深は興味深い人物像だ。あの一枚のイラストをSNSでは「男のファンタジー、女性のあるべき姿を押しつけている」と解釈して批判していたが、漫画の中で描かれる教師・平塚敏深はむしろそうした「あるべき規範」から逸脱し、平気でタバコを吸い、生徒の前で足の爪を切り、居眠りをし、「〜だわ」「〜なのよ」ではなく「〜だろ」「〜だよなあ」という口調で話す。性的にはダウナーで、男性を求めるのではなく自分で処理する。「自由」を基調としたキャラクターなのだ。それを「美人に描かれているし、男性読者に許容される時点で反フェミニズム的である」と解釈することは可能だろうが、そのラインからはワンダーウーマンやディズニープリンセスだってこぼれ落ちる。

あらためて、このイラストを見てほしい。SNSでは「イラストとしてダメ」みたいなトンチンカンな批判が出ていたが、絵を描く人間ならこのイラストが超絶に上手いことはわかるはずである。しゃがんで背を丸めて冷蔵庫をのぞきこむ女性を斜め後ろ上から覗き込む複雑なアングル。扉の開いた冷蔵庫という直線的な物体と、女性の身体という曲線を一つのパースの中で自然に整合性をもたせ、しゃがんだ足の指が床をグリップしていること、ずり落ちたズボンのシワの描写と足のすその余り。冷蔵庫の光で照らされる逆光の中で浮かぶ女性の表情。「ブラのホックを背中だけ外す女性はいない」という声に対して「いやいる」という反論がSNSで上がったが、そもそもこれは「身体を束縛し抑圧していた衣服が背中で外れて解放されている」という絵画的表現なのであって、それは首から腰まで伸びる背骨ラインが丸く自由に解放されたことで描かれているわけだ。自由さと性表現を両立させ、しかも尊厳は毀損していない美しい絵だと思う。

『生徒会にも穴はある!』は4コマを基調として描かれるスタイルだが、キャラクターたちはとても魅力的で、自由だ。193cmの女子高生がいる。131cmだが、学費免除の数学特待生の少女がいる。美少女にしか見えない中等部の少年がいる。「少年ならバストトップを見せてもプライベートゾーンにあたらない」ことを逆手に取ってこの美少年がアレするのだが、情報と物理は大学レベルである。主人公は高校生で文学賞を受賞するような天才少年なのだが理系がまるでダメで、生徒会はそうした「一点突破」型のムラのあるサヴァンたちが集まる多様性集団として描かれ、その顧問として教師・平塚敏深がいる。

そして、これはやはり性についての物語なのだ。ひとりひとり違う性。徹底してそれぞれの性について語っているのに、具体的な絵としての描写は美少年の乳首くらいしかなく、パンツすらほとんど見えないのである。『生徒会にも穴がある』というタイトルは言うまでもなく、「欠点、盲点、見落とされてきたもの」という意味の「穴」であり、同時に女性器をさす性的スラングでもある。そして第一話は、洗濯ばさみっぽい何かで自堕落に髪をとめた教師、平塚敏深が主人公の少年の成績についてつぶやく、文字通り意味深い一言がそのままタイトルになっている。引用しよう。

「オスガキにも穴はあるんだよなあ」そう、これは少年の穴、少年の性についての物語である。文化の中の盲点、見落とされてきたもの。そんなものはジェンダー平等やフェミニズムではない、そんなものは多様性と認めない、しかるべき人脈の大学教授が太鼓判を押し、有名ライターが乗っかり、自分たちの社会運動に回収しうるものだけをジェンダー平等やフェミニズムと呼ぶのであってお前たちにその言葉は使わせない、という人々はきっといるだろう。もしそうだとしたら、きっとこの性についての自由で新しい作品は別の名前で呼ばれることになるだろう。それが歴史というものなのだから。

無料部分はここまで、月額マガジン部分では、作者の性別や単行本のなかで描かれたきわどい箇所、そしてこの作品がセックスではなく自慰についての物語であることなどについて書きます。加入すると他の記事も全部読めますので、もしよかったら加入してみてください。

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