和歌詠いのバラッド/『ちはやふる』完結記念48時間限定1〜48巻読み放題に寄せて
本当は明日の最終回を読んでから書こうかと思っていたのですが、48時間限定で48巻読み放題!というキャンペーンが行われることを知り、これを機会に多くの人に新たに読んでもらいたくて今日書くことにしました。
なお、最終回を読んでもネタバレには配慮を
『ちはやふる』の原画展などで他のちはやふるファンに触れて驚くのは、いつ開催されても常に子供のファンが多いということです。『ちはやふる』が掲載されている雑誌『BELOVE』は、低年齢層むけの雑誌ではありません。テレビアニメは何度も放送されていますが、コナンやドラえもんのように子供が見られる時間に毎週放送しているわけでもありません。でも『ちはやふる』のイベントには、小学生くらいの少年少女がいっぱいなのです。彼らはどこで『ちはやふる』に出会うのでしょうか?「学校の図書館にあった」という声もありますし、「2008年の連載開始から読んでいる親世代が子どもに伝えている」という声もあります。「今は配信サービスで過去に放送されたアニメが見られるんだ」いう声もあります。たぶんそうなのでしょう。でもそれと同時に、『ちはやふる』という作品が常に新しい子どもの観客を獲得し続ける理由のひとつに(もちろん作品の素晴らしさ、そして作品によって大きな知名度と競技層の拡大を実現した競技かるたの隆盛は当然の前提として)、「日本の子どもが男女問わず幼児期から学童期にかけてかるたを経験する」という要素、かるたという原体験の共有もあるのではないかと思うのです。
多くの人が知るように、かるたは低年齢の児童の教育として使われます。耳で音を聞き、目で文字を読み、手でそれを取る。『ヒアリング•リーディング•アクション』という、低年齢向け教育のすべてがそこにあり、しかも子どもたちはまったくこの「勉強」を嫌がらず、夢中になってカードを取るのです。しかもこのゲームには適度な乱数性と平等性があります。かなり幼い子でも、自分の目の前のカードが読まれるのをひたすらずっと待っていれば、いつかは真っ先にそれを取るチャンスが訪れます。
言葉と文字と映像を結ぶかるたはまた、老人ホームでのゲームなど、リハビリテーションにもよく使われます。子どもたちにとっては言葉と文字を獲得するために、そして老人にとってはそれを忘れないために。
『ちはやふる』は、若い10代の少年少女たちが競技百人一首というスポーツを通じて、世界についての言葉を獲得していく作品です。「あひみての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり」綾瀬千早も綿谷新も真島太一も、このスポーツの中で多くの概念に出会い、自分を変化させていきます。
綾瀬千早、若宮詩暢、というクイーン戦を争うことになる2人の名前が象徴的ですが、「ちはやふる」「しのぶれど」といった古語の意味、和歌の背景が作品の中で人物たちと密接に絡み合いながら物語は進みます。「千早振る」という神代の前に来る言葉の意味の解説を大江奏ちゃんが語るシーンは、上白石萌音さんが演じた映画版でも名シーンのひとつとなりました。
和歌の一つ一つに意味があるように、登場人物たちの一人一人に物語があり、それが背負っているメッセージがあります。若宮詩暢というライバルが背負う女性性と、競技百人一首界への変革へのメッセージ。物語の途中で彼女が一度天真爛漫に太ることにも、こめられた意味があります。奇しくもこの漫画の連載中に、かつて三試合制だったクイーン戦は男子と同じ五試合制になりました。そしてこの物語のクライマックスはその変革されたクイーン戦で行われるのです。
物語について書き始めるとキリがないので、どうか8月1日、明日から始まる48時間の読み放題でこの物語に足を踏み入れてほしい、そういう気持ちで今これを書いています。この作品はかつて、福井県出身で自身もA級選手(これはすごい実力なのです)である女性編集者が、末次由紀先生と二人三脚で始めたという経緯があり、こちらも非常に読み応えがあります。『ちはやふる』の連載の中で、作者の末次由紀先生は深く競技百人一首界にコミットメントするようになり(多くの若い選手がこの作品を通じて競技に参加し始めたことを語ります)、クラウドファンディングや基金などを通じて、コロナ禍で苦境にある競技を支えています。
『ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに水くくるとは』
作品のタイトルにもなった在原業平の和歌を思い出すたびに、いつも「神代もきかず」の意味について考えます。からくれなゐとは唐紅とも韓紅とも書き、つまり海外から渡ってきた最新の流行色のことです。なぜ在原業平はそれを和歌に詠んだのでしょうか?その年の竜田川の紅葉の色がいつもと違っていた、かつて日本の歴史になかったような色に突然変わったのでしょうか?
たぶん、そうではありません。在原業平が和歌に詠んだ「神代もきかぬ」変化とは自然ではなく、人間の言葉の変化なのです。神代の時代から変わらない紅葉の紅を、人々がやがて「からくれなゐの紅葉だ」と新しい言葉で表現し始める。その人間の文化の流行と変化を竜田川の流れに重ねた歌が『ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに水くくるとは』なのではないでしょうか。言語学も未発達な千年前に詠まれた和歌なのに、まるで頭の中の視点のルービックキューブをくるりと回されるようなこの和歌の奇妙な哲学性、それでいて豊かな情感と、人々と世界に対する肯定にあふれたこの和歌のことを考えるたびに、いつもそのことを考えます。
在原業平がこの和歌を読んだ時、そこにいた人たちは自分たちが千年後も残る名歌の誕生に立ち合ったことに気がついていたでしょうか。その歌がやがて札に書かれ、上の句を詠んで下の句を探すという他愛のない記憶遊びになり、そしてやがて0.1秒を争うスポーツになることを想像したでしょうか。その歌の枕詞を名前にした女の子の物語が千年後に書かれ、千年前の日本の人口をはるかに超える部数が印刷されること、映画という想像もつかない技術で上演されること、その中で彼ら歌人たちの和歌と名前が千年後に何度も何度も甦ることを想像したでしょうか。
この不思議な物語は、これを書いている7月31日の翌日に完結します。そこから48時間、多くの人に読んでもらうための48巻分の無料期間が始まります。
発売中の49巻、そして最終回前の部分も読めば、ジャスト最終回に追いつくことができます。
いつまでも続いてほしかったし、今後もスピンオフを期待したい。でもたぶん、完結後もこの物語は、変わらずに新しい読者、次の世代の子どもたちと会い続けるのではないかと思っています。これは千年前に詠まれた31文字と、私たちの生きる千年後の世界をつなぐ、少年少女が言葉を獲得する物語だからです。
本当のことは和歌の中にある。いつもなら照れ臭くて言えないことも。
無料部分、読んで頂きありがとうございました。ここからは月額マガジン読者の方に向けて、競技百人一首を支援してきたこの『ちはやふる』が描いている、百人一首界への変革への期待、作品の謎について少し書いてみたいと思います。
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