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ツイッターで炎上した、樹村みのり先生の漫画が収録された『女性学・男性学ージェンダー論入門 第3版』を購入して全部読んでみたら微妙に印象が違った話

まずは発端となったこのツイートから。

まあ、ここだけ読むと非常に表現規制的だし、キャンセルカルチャー的であります。ヌードポスターを破り捨てる男の子のモノローグ「お母さんが見たら泣くよ…」というフレーズも非常に家父長的で抑圧的であり、もうネットのダメフェミニズムの見本みたいに見えてしまう。樹村みのり先生もネットに影響されてこんな漫画を描くようになってしまったのか…という反応がツイッターに溢れたのもまあわかる。

しかし本当だろうか?と思って引用元の書籍を購入してみたら、微妙に印象の違う作品であった。ええ買ったんですよ書籍。2000円出して『女性学・男性学ージェンダー論入門 第3版』を自腹で購入すると言うのはこれはもう、国連WOMENから「凶弾に倒れたCDBさんは民主主義を守るツイッターのフェミニズムチャンピオンでした」という弔辞が贈られていいレベルです。いや死んでねえし。

全部読んで印象が変わったこと①
そもそもこれは2002年に出版された書籍である

作品というのは、それがどのような時代の中で発表されたかによって意味が変わります。ツイートには(有斐閣 2019年)とあるので、いかにも最近のツイッターの論調に影響され、あるいは迎合して描いたマンガかのように思われてしまいがちですが、実は2002年、20年も前に樹村みのり先生が描かれたマンガなんですね。
よく知られているように、ジェンダーをめぐる社会の意識というのは時代によって変わります。西暦2002年の日本といえば長かった徳川幕府の支配が揺らぎ始め、薩摩藩の大名行列に対してイギリス人が馬を降りなかったという理由で斬殺し国際問題になっていたような時代です。嘘を書くな。もしくはジュラ紀ですよ。早いですね時代の流れは。冗談はさておき、島田紳助が女性マネージャーをほとんど理由もなく拳でぶん殴って警察に逮捕され、罰金30万円の有罪判決を受けたわずか2ヶ月後に「おかえり父ちゃん」「紳助さん復帰おめでとう」と拍手の中で地上波司会に復帰したのが2004年です。ほぼ江戸時代やジュラ紀みたいなもんですよ。要するに今とはかなり空気が違う中で描かれた作品なんですね。

全部読んで印象が変わったこと②
主人公たちはフェミニズムを学んでいるわけではない

前述したように2002年のフェミニズムは社会的に低調でした。書籍を買って読むと著者の1人、伊藤公雄先生が「はしがき」で書いているのですが、

「手にとってご覧になればすぐわかるように,この本は,テキストとしていろいろな工夫がされています。だれでも気がつくことでしょうが,ストーリー・マンガが入っているのもその工夫の 1つです。やはり,教科書というとまだまだ「お堅い」イメージがあります。でも,ジェンダー問題は,だれでもがかかわらざるをえない課題でもあります。そこで,マンガという表現手段を通じて,身近な自分の問題としてジェンダーについて考えてもらおうと思ったのです(単に,執筆者の 1人がマンガ好きだっただけかもしれませんが)。とはいっても,「正論」をひたすら語りかける,単なる「啓発マンガ」ではおもしろくありません。マンガとして「読む」にたえるものでなければ意味がありません。樹村みのりさんという素敵な協力者をえたおかげで,「読める」ストーリー・マンガが入った教科書になりました。」

—『女性学・男性学(第3版) 有斐閣アルマ』伊藤公雄, 樹村みのり, 等著

という記述にあるとおり「正論」「こうしましょう」として描かれたものではないんですね。余談ですが「ストーリー・マンガ」という記述にも非常に時代と執筆者の世代を感じます。ツイッターネタではありますが、パソ・コン的なあれですよ。インター・ネット。フェイス・ブック。インスタ・グラム。ツイッ・ター。そこは区切らないだろ。そうですね。

冗談が長くなりましたが、要するにこのマンガ

フェミニズムを学んだ学生が思想的行動を起こすマンガではなく、
フェミニズムを知らない世代の若者の中にあるモヤモヤした違和感を描いたマンガ

なのですね。たとえばヌード写真集の広告を見た青年が内心つぶやく(お母さんがみたら泣くよ)というモノローグにしても、ここだけ切り出すと「パターナリズムである」「お母さんが泣くかどうかはフェミニズムと無関係である」という批判を当然したくなるとは思うのですが、そもそもこの青年は大学生ではあるものの、学問的にはフェミニズムを知らない男の子として描かれているんですね。ここで(これは性的搾取だよ…)といった政治的言語を言わせるのではなく、なるべくフェミニズムとは別の言葉、いかにも男の子が言いそうな素朴な心情によってそんな行動をとってしまう、ということが描かれてるわけです。

それにしてもポスター破るのは過激じゃない?というのは我々の世代から見るとその通りですが、樹村みのり先生は16歳でデビューし、少女マンガ家と並行して学園紛争ど真ん中の大学に通って卒業した人でもあり、学園紛争時代の大学生たちの社会変革というのはポスターを破るなどという生やさしいものではありませんでした。樹村先生から見るとここに描かれているポスターを破る若者たちというのは「革命を知らない静かな世代の若者たちが、それでも胸の中の違和感を捨てきれず、社会にささやかな抵抗の意志を示す」という、政治運動というよりは

「盗んだバイクで走り出す 行く先もわからぬまま」

的な詩情的表現であるわけです。それでも尾崎豊の「15の夜」がいまや「バイクを盗まれた方の気持ちを考えていない」とネットの糾弾にあっているように、このマンガもツイッターで受け入れられることはないと思います。しかし全編読むと今のネットでよくバズる男性嫌悪ラディフェミまんがというよりは非常に寛容な、「女性差別的なことを言っていた男子同級生、あるいはボーイッシュな女性主人公の友人である保守的な女友達もふくめて、最後はみんな仲良く飲み会で乾杯して終わる、(重要なポイントですが、彼らの友人が議論の末に考えを変えたから和解するわけではありません。この短編は基本的にそうした変革を訴えるものではなく、彼らの中にいる男女一人ずつの心の中にある違和感を描くだけです)いろいろあるけど新しい社会を若い世代が作っていこう」という教科書的マンガになっているわけですね。

もちろん、これがマンガ表現として上手く行っているとはいいがたいところがあり、そもそも漫画の中の若者がすげえ古い。2002年というより70年代みたいな若者像です(当時すでにあったはずの携帯電話やネットを盛り込むなどという小細工はカケラもないのがいさぎよいところです)二十歳そこそこの女性主人公が「なのダ」とか言ったりします。しかし、あんまりそのへんをあげつらったりしたくはないのは、これは作品全体を読むとわかるのですが、全体があの世代の伝説的少女マンガ家の特徴である「優しく繊細な男の子と女の子の話」として描かれているんですね。フォークソング的な抒情というか。なので、ネットにポスターを破る部分だけ切り出されるとそこは誤解されるのではないかと思い、今回の記事を書きました。みなさんも二千円で書籍を購入してフェミニズムに貢献しましょう。
さて有料マガジン部分では、この書籍に樹村みのり先生が寄稿しているもうひとつのマンガ、2002年に事故にあった主人公が2050年に目をさますというマンガについて書いてみたいと思います。

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絵やイラスト、身の回りのプライベートなこと、それからむやみにネットで拡散したくない作品への苦言なども個々に書きたいと思います。

七草日記

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絵やマンガなどの創作物、WEB記事やTwitterに書ききれなかったこと。あとは映画やいろいろな作品について、ネタバレを含むのでTwitt…

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