わたしは、いまもここにいるよ

(※トラウマ症状の話です。)


今でも聞こえる、非難する声。
声と言っても…難しい
耳で聞こえるというより、頭の中でひびいてるような、そんな感じ。

以前よりまだマシにはなった。
これからも認知行動を続けていきたいと思っている。

わたしの目で、わたしの耳で、わたしの思考で経験していることなのに、
そこで今までわたしに関して非難した人達の声や、過去にわたしの目の前で何かを否定した声が聞こえる。
記憶の中なのはわかっている。
というかやっと「これは○○の声だ。」「あの時の記憶だ」と認知できるようになったのは、すごい効果的。
わたしの記憶の中で声として聞こえているその主は、今どこで何をしているかわからないし、どこで何をしているか知ってる人もいる。
「あの時」と「今」を別で考えられてはいるのだが、やっぱり記憶の中でひびく。 

わたしの感性で物事を見聞きし、経験したいのに「声」がでくると…くやしいというかなんというか。
わたしなのに。これはわたしなのに。
それと同時に「ああ、わたしはこんなにも辛かったのか」「本当はこんなにも…」
自分でも思っている以上に傷ついていたことに気がつく。
嗚呼やっぱり何かを定義付けしてしまうのは本当に良くないなあ。


のめり込んでしまうと、しんどくなる。
かと言ってやっと「声」としてでてきたトラウマを、辛さを抑え込んでしまいたくない。
そういう声も「わたしの症状」「わたしの傷の声」
「わたしの声」として大切にしたい。


声が聞こえてくる中で、自分の心の声を、
誰かの声がきこえてしんどくなる自分を、
どこかで感じている。


大丈夫、わたしはここにいる。
心配しなくとも、ここにいる。


今日もわたしは、今を生きる。そう思いながら今日も生きる。

わたしの耳に換気扇の音が届く。
心地良い。(少し声は聞こえるが)

共に生きたい。いこう。
いけそう、共になら。

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