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幸田露伴の随筆「古革籠⑦」

古革籠⑦

 全ての味は水を借りなければその味を発揮できない。人がモシ甚だしく口が渇き舌が渇いていては、熊の掌(て)も魚の膏(あぶら)も何であろう。味は唾液が之を分解して之を味わうことで人が感じるのである。唾液に水が無ければ、甘い・辛い・酸い・苦い・塩辛い、の五種の味もまた無用のものとなる。唾液は水である。ムチンを含むことで粘っこいが、その実体は弱アルカリの水であって、酵素のプチアリンを含むだけである。この中でプチアリンは消化作用の働きをするだけで、ムチンは思うに外物の強烈な刺激を緩和するためにあるもののようで、味を細かく人に伝えるのは実に水の力である。体内の水の働きはこのようである。そして体外の水もまた、味を細かく人に伝える大作用をする。たとえば青や黄や赤や黒の色もつまりは水の力によって白地を染めるようなものである。水が無ければ絢爛(けんらん)の美や錦繡(きんしゅう)の模様も有り得ないのである。此処に於いて能(よ)く染める者は水を論じ、能く味わう者は水を品評する。蜀の錦(にしき)が有名なのは蜀の水が染めるのに宜しいからである。加茂の水があることで京染めの名が広まるのである。染める者が水に頼るのもまた大きいと云える。そして味が水に依ることイヨイヨ大きいと云える。
 中でも酒と茶は特に水の力を借りる。酒は水に因って体を成し、茶は水に依って用を発揮する。灘の酒は実に醸造技術の巧妙によって成ると云えども、それは佳(よ)い水を得たことで天下に冠たるものに成ったのは間違いない。醸造家が水を貴び水を愛し水を重んじ水を吝(お)しむことは、まことに理由の有ることなのである。刀工が剣を鍛えて之に焼き入れをする時に、水が悪ければ失敗する。醸造家が酒を醸(かも)すのに、方法があり技術があり材料や道具があっても、水が佳く無ければ佳い酒は得られない。豆腐は醸造することは無いが水に因って体を成すのは酒と同じである。それなので水が佳ければ佳品が得られ、水が佳くなければ佳品は得られない。京都の祇園豆腐も思うにその水の佳いことで名を得たのであろう。茶ともなるとその味は微妙なので、水に依るところはイヨイヨ甚大である。足利義政は園内(東山殿・現銀閣寺)の清泉を用い、豊臣秀吉は宇治の橋間の流水を汲ませた。私は秀吉に賛成だ。泉は清いと云っても長流の方が勝っているようだ。堅田の祐庵は水の味に詳しい。琵琶湖の水を甲処で汲んだものと乙処で汲んだものを判別して誤りが無かったと云う。茶博士たる者はこのようであるべきである。支那(中国)では西冷の水が有名である。諸士で特別に之を汲む者、文で特別に之を記す者は、甚だ多い。長江の水には自然と佳処と不佳処があって、郭墓(かくぼ)の辺りは最も佳であるようだ。およそ水の味を論じる書は、唐の張又新(ちょうゆうしん)や盧仝(のどう)などから始まって、宋・元・明・清に及んで、時に好事家の撰著がある。蘇東坡が真君泉(しんくんせん)を賞賛し葛懶真(かつらいしん)が藍家井(らんかせい)を賞揚したように、詩詞や雑述で之を語る者は甚だ少なく無い。我が国では乗化亭(じょうかてい)の書以外は寂しいことに知られていない。千利休や片桐石州は茶道で有名だが、水を選ばなかった訳では無いが、対面伝授であって筆で伝えることが無かったで、その言は散見するが書として完成するものは無い。
 江戸の盛時には泉井(せんせい)以外では、西に玉川の水があり、北に綾瀬の水がある。玉川の水は今も猶、市民がこれによって生活をしている。しかしながら明るく澄んではいるが真味に乏しい。味に精しい者は、「水道の水には礬気(ばんき・ミョウバン臭)がある」と云う。綾瀬の水は今は飲めない。混濁汚腐していて、昔の地誌が之を称えたことを疑わざるを得ない。江戸川の水は永い旱(ひでり)や長雨の無い時の御熊野(おくまの)の辺りの水は、今も古人の評価に誤りがないように私には思われる。しかしながら次第に上流に人家が増えて、やがては綾瀬のようになる虞れがある。好事家(こうずか)が行って汲むようなことは終(つい)に昔の夢となろう。利根川では「がまん」の水が甚だ佳い。がまんは忍耐の意味で、流れが甚だ急で水が速く、忍耐しなければ舟を遡(さかのぼ)らせることが出来ないので此の名だある。土地は三ツ堀に属して鬼怒川が利根川に入って、二ツの流れが衝突滾混して流れる処である。水品の美しさは実に赤松宗旦(あかまつそうたん)が「利根川図誌」に記す通りである。私は嘗てしばしば之を試したが、山本氏(現山本山)の「清風」は茶の最上のものでは無いと云えども、神味一段と加わり霊気心胸に沁みるものがあった。そして今、鬼怒川の川口は河川改修によって下流一里余りになったので、がまんの水の味が昔のようであるかどうかは知らない。

注解
・熊の掌:美味と云われている。
・蜀の錦:中国・蜀(四川)地方で産する美しい錦織物。
・西冷の水:?
・張又新:中国・唐の政治家、「煎茶水記」の著者。
・盧仝:中国・唐の詩人。「七碗茶歌」の詩(走筆謝孟諫議寄新茶)に盧仝の政治批判と茶の好事家としての一面が読み取れる。

     走筆謝孟諫議寄新茶
(筆を走らせて諫議大夫の孟氏が新茶を寄せるを謝す)

  日高きこと丈五 睡(ねむり)正に濃(こま)やかなり
  軍将 門を扣(たた)いて周公を驚かす
  口伝す 諫議の書信を送ると
  白絹を斜めに封ず 三道の印
  緘(かん)を開けば 宛(さな)がら見る諫議の面
  首(はじめ)に閲(けみ)す 月団三百片
  きくならく 新年山里に入り
  蟄虫(ちつちゅ)驚動して 春風起る
  天子 須(すべから)く嘗(たしな)むべし 陽羡の茶
  百草 敢えて先ず 花を開かず
  仁風 暗に結ぶ 珠琲瓃(しゅばいらい)
  春に先だって抽出す 黄金の芽
  鮮を摘み芳を焙って やや封裹(ほうか)す
  至精至好 且つ奢らず
  至尊の余 王公にかなうに
  何事ぞ すなわち到る山人の家
  柴門 反(かえ)って関(とざ)して 俗客なし
  紗帽 籠頭 自ら煎吃(せんちつ)す
  碧雲 風を引き 吹いて断たず
  白花 浮光 碗面に凝(こ)る
  一碗 喉(のど)吻(うるお)う
  両碗孤悶を破す
  三碗枯腸をさぐる
  唯だ有り文字五千巻
  四碗軽汗を発す
  平生不平の事
  尽く毛孔に向かって散る
  五碗肌骨清し
  六碗仙霊に通ず
  七碗吃するを得ざるなり
  唯だ覚ゆ両腋習習として清風の生ずるを
  蓬萊山いづくにかある
  玉川子 此の清風に乗じて帰り去らんと欲す
  山上の群仙 下土を司どる
  地位清高にして風雨を隔つ
  いずくんぞ知るを得ん百万億蒼生の命
  顚崖に堕在して辛苦を受くるを
  すなわち諫議について蒼生を問う
  到頭蘇息を得べしや否や
・真君泉:?
・葛懶真:?
・藍家井:?
・乗化亭:江戸時代後期の下野国黒羽藩十一代藩主大関増業は、江戸の箕輪の別邸乗化亭に住み多くの著作を行う。
・御熊野:宝永四年に創建された下今井村の鎮守熊野神社前の江戸川(旧利根川)には「だし」と呼ばれる杭があって、江戸川の激流を緩和していた。そして「だし」付近の水は清澄であったことから、徳川将軍家ではその水を江戸城まで運ばせて茶の湯をたてていた。通称、おくまんだしの水。一般にも開放されており、野田の醤油にも使われていたという。
・がまん:守谷市野木崎地区の常総運動公園の傍らに「がまんの渡し」跡の石塔があるが、この辺りか。
 

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