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幸田露伴の随筆「折々草16~28」

十六 鶴の一声
 私の家に多いのは鼠と蚊だけである。蔵書も少なく膳椀・皿小鉢も少なく壁に掛けた画が一ツ二ツあるだけ。とはいえども大雑把で構わない性質なので、蔵書の少ないことや什器の足りないことなどは苦にならない。ただ寒い時も暑い時も春の日も秋の夜も狩野尚信の「蜆子(けんす)和尚の像」に対して居るだけでは心楽しくなく、時には好い画幅を買い求めたいと思わないこともないが、この頃たまたま某老人が、「利休の子の道安は五六年の間、常に「鶴の一声」と云う花入れに花を活けて、ついに一度も軸物を掛けたことが無かった」と、語ったのを聞いた後は、二度と敢えて探幽や応挙の妙画を求めようとすることもなく、足ることを知って心も少し落ち着いた。
 注解、
 ・蜆子和尚:唐末の禅僧。居所を定めず,常に一衲をまとい,河辺で蝦や蜆をとって食べ,夜は神祠の紙銭中に寝たという。
・探幽:狩野探幽。
・応挙:丸山応挙。

十七 天地悠々
 陰暦の八月十三日の夜、寺島からの帰り路、ただ一人心静かに清らかな月の光を浴びながら、墨堤(ぼくてい)を歩いたが、見渡す限りの景色は平常(いつも)よりもあわれ深く眼に映って、岸を浸す満々とした川水は緩く流れ、舟を漕ぐ櫓の声も物悲しく、「水は寒煙を引きて江樹を没す」と李白(りはく)が云ったのもこのような眺めかと、橋場や待乳山辺りを遠くに見ながら、草隠れに鳴く虫の歌に送られ迎えられてのんびりと独り行けば、昼の雨に洗われた樹々の梢から雫(しずく)がハラハラと折からの風に散り落ちて、私の袖を濡らし、薄絹のような微雲は時折り月を覆って私の心を傷ませ、何とも知れない感(おもい)が胸に湧いて、仰いでは観、俯(うつむ)いては歎(たん)じ、「前に古人を見ず、後(のち)に来者を見ず、天地の悠々たるを念(おもい)て、愴然(そうぜん)として涕(なみだ)下くだる。」と云う陳子昂(ちんすごう)の古詩(幽州台に登れる歌)を、思い出すままに数回、高らかに誦唱すれば、物淋しい秋の気配に心神は殆んど氷のようになり、茫然としてしばし我を忘れる。
(注解、李白・陳子昂:共に中国・唐の詩人)

十八 醒飢病貧
 夜更けて兀坐(こつざ・ジッと坐る)すれば興味極めて多い。思うに一年では風の冷ややかな月の清(す)む時節が最も妙。三秋(さんしゅう・初秋、中秋、晩秋)では、雨静かに葉の落ちる日が最も妙。一日では、人が寝静まり虫の鳴く時が最も妙。モシそれ人が寝静まり虫の鳴く時であれば、酔は醒に及ばず、飽は飢に及ばず、頑健は繊細に及ばず、濁富は清貧に及ばない。醒・飢・病・貧、これを私は四妙とする。そして尚私は思う、殺人や放火の罪を持つのであれば益々もって妙であろうと。酔飽健富はコレ人と天の交渉接触を妨げて親和をもたらす大奸大賊であり、殺人放火の罪は母なる天と子なる人の間に立つ頴考叔(えいこうしゅく)である。醒飢病貧は正にコレ悍馬を御する手綱(たづな)であり鞭(むち)である。
(注解、頴考叔:中国・春秋時代の鄭(てい)の国境を守っていた役人。弟の評判の好い事を怒ってその母を幽閉した荘公を、自身の親孝行を見せることによって改心させた。ここでは反省の鑑(かがみ)の意味か)

十九 病中読書
 私は最近病気になって十日程も机に向かわない日がつづく。時に寝床に座って枕もとの書を読むが、精神が衰耗していて平生に比べて遥かに集中心が及ばないのを歎かざるを得ない。と云えどもまた欲が衰え意(おもい)静かなので、心が六塵の境に馳せることもなく思いは一巻の文に沈んで、運良く未見の解を見出し、未得の興が得られることも無いことはない。宝光明経の巻第二の中の、「大丈夫猛利の意を生ぜば、発心の力は人中の王のようになるだろう」と云う語(ことば)、「無辺の恭敬心を発起すれば我は人の驕慢を皆棄捨できるだろう」と云う語、「若得発心不退力(じゃくとくほっしんふたいりき・若し不退力の欲心を得れば)、彼以根利現光明(ひいこんりげんこうみょう・彼の発心の利によって光明が現れる)、若得根利現光明(にゃくとくこんりげんこうみょう・若し発心の利によって光明が現れれば)、彼常遠離悪知識(ひじょうおんりあくちしき・彼の悪知識は遠く離れる)、若巳遠離悪知識(にゃくいおんりあくちしき・若し悪知識が遠く離れれば)、応当求法訪善友(おうとうぐほうほうぜんゆう・応(まさ)に法を求めて善友が訪れる。)」と云う語などが直ちに私を励まし、私の悪癖を指摘し私の前途を指示するのを見出して、奮然として起ち、赧然(たんぜん・顔を赤らめて)として恥じ、豁然(かつぜん)として心が開け安心を得る等、皆コレ病中の一得であって、快の一字を叫ぶに足りる(快!を叫ぶ)。
(注解、六塵の境:心に影響を与える色・声・香・味・触・法の六の外境。猛利の意:烈しい意欲。無辺の恭敬心:限りなく広い敬の心。)

二十 情と痴と
  永き夜、人を抛(はな)ちて何処(いずこ)へか去り、
  来音(らいおん・便り)絶える。
  香閣掩(こうかくと)じて、眉ひそめれば月沈まんとする。
  争(いかで)か忍ばむ相尋ねざりしを、孤衾(こきん)を怨む。
  我が心を換え爾(なんじ)の心となし、
  始めて知ろう相思うことの深きを。
と云う、顧夐(こけい)の訴衷情体の詞の結末の、「我が心を換えて爾の心となせば、はじめて相思うの深きを知ろう」との二句は、痴を極め情を極めるが、汪藻の小重山体秋閨の詞、
  月下の潮、紅蓼の汀に生じ、
  残霞(ざんか)都(す)べて斂(おさ)め尽して、四山青し。
  柳梢(りゅうしょう)の風急にして流蛍(りゅうけい)を堕(お)とし、
  波に随いて去る。
  点々として寒星乱れ、〇別語(べつご)記して丁寧なるも、
  今の如く能く間隔するは、幾長亭ぞ。
  夜来の秋気銀屏(ぎんべい)に入る、梧桐(ごどう)の雨、
  還(ま)た恨まず聴かざるを恨む。
の結末の二句は、痴に堕ちることなく能(よ)く情を極める。大抵は情を描こうとすれば痴に堕ち、痴を脱しようとすれば凡に堕ちる。痴即ち情なのか情即ち痴なのか分からないが、思うに痴態を描くことは容易で、情趣を描いて凡を脱することは実に容易でないとはいえども、結局のところ痴は無論病気とは云えないが、ただその健全でないのを憂えるだけである。
(注解、顧夐:中国・五代の詞人、汪藻:中国・宋の詩人)

二十一 修滋分
 胡思乱想(こしらんそう)一刻また一刻、心は急風に騒ぐ断雲となり、思いは野火に焼かれる荒草のようである。次第に憂いがジリジリと迫り来るのを感じて、心は塞(ふさ)ぎ苦しくて堪らない。思考の力は衰え、愚かさを悲しんでは強いて戯(たわ)けたことを云って敢えて乱酔し、少しでも自分を慰め自分を騙そうとするが、笑声は無心の虚空に消え、却って寂しい山々の中で鳥が鳴くような光景になって、酒は腸(はらわた)に入り懺悔の涙に変り、あいにく人に接する機会も無く、心は氷を結び身は霜に悩みやすい。このように過ごすこと一週間、例のように一ツも得るところ無く、終(つい)に家に帰ろうと午前に塔ノ沢を出て、午後に国府津を通り、日暮れに新橋に着いた。今朝寝過ごしたために、某会出席の約束を果たせないことを恨みながら、車を呼んで家に向かう。途中の風景に流石に懐かしさを覚えて、人馬で賑わう繁華な市街を通過すると心中に幾分かの快味を感じ、路のついでに某書店を訪れて偶然にも蝶夢(ちょうむ)の「蕉翁伝」三巻を得た。去年芭蕉の一生を調べた時に、積翠(せきすい)の「句選年考」とこの書だけが得られなくて残念に思っていた。「句選年考」の方は亡友の羅文氏の斡旋で借覧することが出来たが、この書だけは未だ見ることが出来なかったところ図らずもこれを得た。書は思ったほどの物では無かったが満足出来る物であった。今夜この書を静読して風流に遊ばれた蕉翁の面目を想いやり、眼底耳裏(がんていじり)の山水(眼や耳に残る風景)を想って眠りに就けば、夢もまた清風明月の地に遊んで、魂も花霞み松おぼろの趣(おもむき)にあこがれるだろうと、ひそかに悦び我が家に着いたが、アア、朝露夕電(ちょうろせきでん・はかないもの)とは予(か)ねて知った世の態(さま)であるが、王子に居る私の兄の次男は、私が知らせずに出掛けた数日後に夢のように亡くなり果て、荼毘一片(だびいっぺん)の烟(けむ)りとなって痕もなく。先月末の暴風雨(あらし)に我が家が破れ飛ばされようとするのを、屋根に登って防いでくれたほど達者で快活であった隣の老翁も、私が出掛けた後に忽然として頓死してしまい、大口開けた豪快な笑い声を再び聞くことも出来なくなり、加えて寺島に住む兄の家は一家で王子の家の仏事に行った隙に盗みに入られ、永い間の航海で不在であった兄(次兄の郡司大尉)は帰り、王子の一家は知らない間に既に赤羽に移り去り、机上には「金鳳釵(きんぽうさ)」等数種の書がある、これは兄が外国から持ち帰って私に贈与くだされたものである。「平泉志」があった、これは奥州の友人が特に送り寄こされたものである。「尊徳翁伝」が印刷され、しかも是非とも加えてくれと依頼した端書(はしがき)の欠落した物があり、博聞社は印刷物の校正を私に迫り、仙台の某氏と文壇社の某氏は書面で私の文を需(もと)め、債鬼は毒語を遺(のこ)し好友は恨語を寄せていた。他に書き難い難事を私に迫るものが二ツあり、我慢しなければならない俗事が私を煩わすものは四五にとどまらず、悲しいこと喜ぶこと驚くこと歎くことが全て一時に身に迫って来て、慚愧・懊悩・窮・恨、後悔が一方に生じ癇癪は一方に湧いて、しばらくは呆れに呆れたが、ヨシと一喝してマズ処理しやすいものから処理し、急ぐものを急ぎ、他は明朝に仕ようと寝についたが、眠ろうとして眠れず、山水も眼耳に遺(のこ)ること無く芭蕉翁は千里の彼方に去って、「金鳳釵」を空しく枕辺に置き、心は真(まこと)に六窓堂裏(ろくそうどうり)の一獼喉(いちびこう・部屋の六ツの窓を駆けめぐる一匹の猿)のように騒ぎ立て、寂漠とした精舎の主人公の殊勝な気持など少しも無い。酒を命じようにも茶をもとめようにも小僮(こども)は既に眠り、炉には豆火も無い。終(つい)にやむを得ず奮発して「修滋分」を読めば、眼が痛み神経の疲れるにしたがい、「是(かく)の如き衆生は身見(しんけん)と辺見(へんけん)があるので、したがって我想(がそう)がある。もし智慧の薬を得ればこれ等の見を減除し、所持する我想もまた随って止息する。これゆえに我まさに是の如く滋を修めるべし。(このような衆生は、自分に執着する考えと偏った考えを持つので、思い込みが生じる。モシ知恵の薬を得ればこの偏見は減除し、思い込みも随って無くなる。それなので、我まさにこのように慈を修めよう)」と云うところになって、書を抛(ほう)って黙思することしばし。
(注解、胡思乱想:デタラメな考えや乱れた思い。蝶夢:江戸中期の俳僧。羅文氏:友人の朗月亭羅文。)

二十二 酒
 酒が入れば舌が出る。舌が出れば是非が生じる。是非が一度(ひとたび)出れば、彼我は相争い甲乙は互いに背(そむ)いて、心もまた平気ではいられず、即ち我は修羅道に堕ちるか。感深ければ欲衰え、欲衰えれば飲食減じ、飲食急に減じれば憂苦交互に襲い、怖れが自然と湧いて、心もまた平気ではいられず、即ち我は餓鬼道に堕ちるか。酒が感慨を惹くのは、石の上で火を焚いて却って露を生じさせるようなこと、火が酒で感慨は露である。感慨が酒を惹くのは、貧者が寒さに堪えられずに熱湯に入るようなもの、寒さが感慨で熱湯は酒である。もしも歎いて酔い、醒めて悲しめば、水火は神経を傷め寒熱は身を殺し、そこで我は永く地獄道に堕ちるか。アア男子たるものどうしてコノ三足の鼎(かなえ)の中で煮られて可(よ)いものか。

二十三 天意
 人事の全ては皆必ずしも人為ではない。悲しむべきものや恨むべきものを把(と)って来て精しく観ること一回二回三回四回、反復して思考すること数十百回もすると、次第に骨も砕けるような悲しみも痛みの中で薄れ、血も凍り付くような恨みも苦しみの中で解けて、我を悲しもうにも悲しむものは無く他(ひと)を恨もうにも恨むものは無いように感じ、いわゆる天意の在ることを疑えず、静かに周易(しゅうえき)を味わい、更に泰の卦や否の卦や師の卦や比の卦の往来変化を尋ねれば、邈々渺々(ばくばくびょうびょう)として(思いは遠くはるかに馳せて)我が心は死に、我が身は亡くなる。

二十四 風車
 人情は我を活かすか、人情は我を死なせるか、天理は我を育てるか、天理は我を毒するか、仁は恩を生じ恩は桎梏(しっこく・手枷足枷)を人に与えるか、義は法を生じ樗蒲(ちょぼ・サイコロ博奕)を世に行わせるか、賁(ひ・易の卦、飾ること)は剥(はく・易の卦、剥ぐこと)を招き剥は文(あや・飾り)を奪うか、大壮(だいそう・易の卦、盛んなこと)は晋(易の卦、進むこと)を来(きた)し晋は傷つくことを免れないか、生は生を亡ぼす原因となるか、愛は愛を殺す原因となるか、玄(げん・深遠)のまた玄、言説は及ばず思量は遥かに遠い。これを蒼天に質せば天は答えて「知らず」と云う。これを離れて街中(まちなか)を逍遥すれば、偶々(たまたま)一人の童子が居て風車を手に持ちニッコリ笑って風車に視入る。その状(さま)は人を仏の道へ誘い導く大善知識のようである。しかしながら我の得るところは無い。アア、アア、古人は何を説いたのであろうか。

二十五 四種欲
 人寝静まって、感じることいよいよ多く、炉の火は既に尽きて茶を飲もうにも叶わない時、かつて思ったことを再び思う。推測するに外欲には二種類ある。喉が渇いた時は潤すことを欲し、飢えた時は腹を充たすことを欲し、寒い時は身を掩うことを欲し、雨の時は身を隠すことを欲する類(たぐい)、これを本欲という。美味な飲み物を欲し、立派な料理を欲し、美服をまとって御殿に居たいと欲する類、これを依欲(えよく)という。小人(しょうじん)は常に依(え)の小欲に駆られ、大人(たいじん)は時には本の大欲をも断つ。依欲は心を盗む賊であって、本欲は恩を売る悪魔である。また依欲は気を和らげる美女であって、本欲は身を保つ忠臣である。古来多くの隠遁者などは大抵が恩を売る悪魔の手下に過ぎず、卑しいと云うべきである。内欲にも二種類ある。依欲は即ち世間に対して名誉などを欲するソレである。技術の向上を欲し学問芸術の進歩を欲する類は、世間に対するものではない本欲である。小人は常にこの依の小欲に駆られ、大人は死んでもこの本欲を捨てない。内の依欲は外の依欲と姉妹である。外の本欲は内の本欲と兄弟である。ただ大悪党は四欲に跋扈(ばっこ)して独り満足しようとの大意欲を抱き、大聖人は四欲を脱して皆を満足させようとの大意欲を抱く。アア何と私の欲の小さいことよ、アア何と私の欲の小さいことよ。

二十六 理に達する人
 北風の寒さを人は嫌う、どうしてこれを嫌う必要があろう。密雲の暗さを人は嫌う、どうしてこれを嫌う必要があろう。「悶(もん)の突如来如焚如死如棄として生じる(苦しみが突如襲って来て焼かれ殺され棄てられる)」と云う易の離九四の卦などをも嫌う、どうしてこれを嫌う必要があろう。「係(けい)するに徽纆(きぼく)を以って叢棘(そうぎょく)に寘(お)かる三歳得ざる(太い縄で縛り茨の中に置かれて三年間出られない)」と云う易の坎の上六の卦などは危険に関係する人はこれを嫌う。どうしてこれを嫌う必要があろう。風の発止や雲の去来は、有意のようで無意のようで、理がそうさせるようでもあり機がそうさせるようでもある。これを嫌う者はよくその真意を理解していないからである。鬱々とした苦しみや悩みが、突然あるいは次第に起こって消えるのも、有意のようで無意のようで、情がそうさせるようでもあり、命がそうさせるようでもある。これを嫌う者はよくその極意を究めていないからである。思うに理が解れば敬(つつし)んで畏れることなく、命を知れば安心して恨むこともなかろう。これによって君子は、夬(かい)に、復(ふく)に、遯(とん)に、大壮(たいそう)に(共に六四の卦)、勢いを得ても勢いを発しても、退いて守っても、動いて触れても皆善く、剛であっても我儘(わがまま)に成らず、柔であっても屈せずに、毅然として自らを保ち、優しく温かく他に接し、理を愛し命(めい)を楽しむことができるのか。アア、アア、悲しいではないか、我は理を愛し命を楽しむことを得られないか、我ソレついに小人として終わるべきか。

二十七 損益
 損は益の道であり、升(しょう)は困(こん)の道である。懼(おそ)れる者は安全で、傷つく者は慰められる。艱(なや)むは則ち吉、満(みつる)は則ち欠ける。心の貧しいものは多福(さいわい)で、忍辱(にんにく)は多力である。火に逢わなければ金は純になれず、とめどなく涙を流さながすことなければ運は祥(さいわい)にならず、境遇苦しくなければ学問は固くならず、身が閑であれば気は壮(さかん)にならず、大丈夫(立派な男子)は困難を避けず安易に就かず、獃児(がいじ・愚かな子供)は薬を恐れて毒に親しむ。鎧の袖を一振りすれば、好漢は敵の多くないことを恐れる。なので釈迦の弟子の阿那律(あなりつ)は奮って道に進んで両眼を失っても後悔せず、神光(後の禅宗の第二祖慧可(えか))は奮って法を求めて片腕を斬っても敢えて恨まない、アア、我は古人に愧(は)じることあり、悲・哀・恨・傷・辱・悶・罵詈・怨悪やの一切の業果などの来るものは来たれ、いよいよ来たれ、来て我を責めて、我が業因を消し去らしめよ。

二十八 人情
 「姑(しゅうとめ)の、出たあと温(ぬく)き、炬燵(こたつ)かな」と云う俳句がある。或る人が云う、「一応はおもしろい再応はおもしろくない」と云う。一応ソウ思うのは当然の人情で偽(いつわ)りのないところだが、よく思えばソウ思ってはならない人情で、誤りのあるところのものだからである。
「嫁(よめ)姑(しゅうと)まるき心や初なすび」と云う句は春望の句である。私は思う、一応はおもしろいが再応はおもしろくない」と。一見するところ美(うるわ)しいようだけれども、秋ナスは嫁に食わすなと云う諺(ことわざ)を種子(たね)に作者が作った句だからである。邪は悪く正はよい、強いて正にしようとするのは自然に邪になるよりは詩歌俳諧の道では取らないところである。偽りはおもしろくない幻術である、巧みであっても何がよかろう。
「老夫婦ある夜おかしき寒さかな」と云う黙斎の句はまことにおかしな句である。爺(じじ)は入歯、媼(ばば)は懐炉の年になって、若い頃の痴話や悋気も夢のようになった何十年も共に過ごした後の或る夜の寒さに、「私の夜具を貴方使って」「儂の蒲団をお前布け」と互いに睦まじく語り合った末、他人同士ではない仲なので、わけもなく一緒に寝たが、昔を思い出して互いに可笑しがり可笑しがられした風情の、卑しい方には行かないで愛情を感じさせる言い表し、まことに手際よい働きである。
(注解、黙斎:稲葉黙斎、江戸中期の儒学者、著作に「孤松全稿」がある。



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