幸田露伴の随筆「潮待ち草48」
四十八 元の時の諺
◦功名モ紙半張(はんちょう)
功名も結局は虚栄に過ぎないと卑しんで罵倒したのである。まことに偉大な功名と云えども、結局のところ一枚半枚の紙の上にその跡を遺すだけである。鄭徳輝(ていとくき・鄭光祖)の「王燦登楼(おうさんとうろう)」に出てくる。
◦宝剣ヲ烈士ニ贈リ、紅粉ヲ佳人ニ贈ル。
これもまた「王燦登楼」に出てくる。高則誠(高明)の「琵琶記」の両賢女がめぐり合う場面にも出てくる。物は各々落ち着くところがあるべきなので、この諺はおもしろい。
◦巧言ハ直道ニ如(し)カズ。(巧言は直言に及ばない。)
同じく「王燦登楼」に出てくる。鄭廷(ていてい)玉(ぎょく)の「忍字記」にも出ている。巧言が未だ直言に及ばないことが無いにしても、要するに一面の真理を示す快心の諺と云える。
◦軍来(く)レバ将ガ敵(たい)シ、水ガ来(く)レバ土が堰(せ)ク。
鄭廷玉の「楚の昭公」に出て来る。軍が来(く)れば将が対し、水が来(く)れば土が堰(せ)きとめる。この諺のようであれば世の中も心配無かろう。
◦馬到リテ功成ル。
これも鄭廷玉の「楚昭公」に出て来る。張酷貧の作った「薛仁貴(せつじんき)」にも出て来る。「水到り渠(きょ)成る」と云う語などから出たものか。「為せば成る」の意味である。たいそう快い諺である。
◦五百年前ハ共ニ一家。
鄭廷玉の「忍字記」に出て来る。張酷貧の「合汗衫(ごうかんさん)」にも出て来る。五百年前は共には一家と云えば、他人も本(もと)は親族であると云う意味にも取れる。また反語に取って、少しばかりの縁故を云い立てる者に一々取り合うことは出来ない、と云うように用いるのは本来の意味では無かろう。
◦那箇(いずれ)ノ猫児(ねこ)ガ腥(なまぐさ)ヲ喫シナイ。
「合汗衫」に出て来る。腥を喫しない猫は無いと云うだけの諺であるが、次の句が続けざまにおもしろく働くことのできる諺であると云える。
◦苦中ノ苦ヲ受ケザルハ、人ノ上人(じょうにん)ニハ為(な)シ難シ。
秦簡夫の「東堂老」に出て来る。苦中の苦を受ける者が必ずしも人の上の人に成れるわけではないが、人の志を励まして苦しい事に堪えさせる佳(よ)い諺である。元以後の小説にこの諺が何千回となく用いられているのも理由のないことでは無い。
◦坐シテ喫(くら)エバ山モ空シ。
これも「東堂老」に出て来る。我が国の諺の「坐して食らえば山も空し」と云うのと全く同じ。我が国の諺は彼の国の諺をまねたものか、それとも偶然か。
◦家ニ千貫有ルモ、日ニ分文ヲ進ムニハ如(し)カズ。
金があるよりは日々僅かでも儲ける方が善いと云う意味である。いかにも支那人の好きそうな諺である。これも「東堂老」に出て来る。家に千貫の金が有れば寝て暮らす我が国の人なども、少しはこの諺を見習っても好かろう。
◦遠親(えんしん)ハ近隣ニ如(し)カズ。
同じく「東堂老」に出て来る。「遠い親類よりも近くの他人」と云う我が国の諺と全く同じ。
◦千日軍ヲ養ッテ、一時(いっとき)ノ軍(いくさ)ニ用イル。
馬致遠の「漢宮秋」に出て来る。千日も軍を養うのは、つまりイザと云う一時の用に充(あ)てるためである。解釈の仕方や用い方の甚だ多い諺で、含まれる意味はたいそう広い。
◦人面ハ高低ヲ遂(お)ウ。(人は地位の高低を気にする)
王子一の「悞入桃源(ごにゅうとうげん)」に出て来る。何処も同じ世の人心である。
◦死ヲ除(のぞ)イテ大災無シ。
馬致遠の「黄梁夢(こうりょうむ)」に出て来る。取り方によっては非常に壮烈な意味に聞こえる。また取り方によっては死だけを恐れる意味にも取れる。とにかく面白い諺である。
◦相逢ウモ馬ヲ下リズ、各自前程(ぜんてい)ニ奔(はし)ル。
作者不明の「気英布」に出て来る。人は各自取るべき道があり、行くべき路があるので、出逢っても馬を下りて無益な挨拶などに時を空費しないで、その前途に向って奔るがよいと云う意味である。英国人の諺のように思えるがソウではなく、虚礼を尚ぶ中国にこのような諺があるのはおもしろい。相逢の二字を将軍の二字に換えても云えるようだ。禅家の語録などには多く用いられている語である。愛すべき諺では無いか。「琵琶記」の瞯詢衷情(かんじゅんちゅうじょう)の篇に、「各人自(みず)ら掃う門前の雪、管(かん)する莫(な)かれ、他家瓦上の霜」と云う、我が国の諺で「他人の頭の蠅よりも吾が頭の蠅」と云う、共にその意味に似たようなところがあるが、この諺の厳しくて面白いところには及ばない。
◦大富ハ命ニ由リ、小富ハ人ニ由ル。
「漁樵記」に出ている。この諺を見ると、「小富ハ人ニ由ル」のために、多くの支那人が涙を垂らし汗を揮って営々として金銭の奴隷になることを敢えてするのを、思わない訳にはいかないが、この諺が佳諺であることに間違いない。
◦水ニ随(した)イテ船ヲ推(お)ス。
同じく「漁樵記」に出て来る。勢いに乗じて事を行って風潮に逆らわないことを云う。労少なく功が多いので、世の賢い人は何時もこのような事を奨(すす)める。また関漢卿の「竇蛾冤(とうがえん)」や康進之の「李逵負荊」にも出て来る。
◦眼ハ望ム捷旌旗(しょうせいき)、耳ハ聴ク好消息。(眼は望む勝利の旗、耳は聴く好い消息。)
作者不明の「凍蘇秦」に出て来る。また「琵琶記」にも、石君宝の「曲江記」にも出て来る。余情の無い諺である。
◦自ラ飽キテ人ノ飢エヲ知ラズ。(飽食の人は他人の飢えを知らない。)
同じく「凍蘇秦」に出て来る。武漢臣の「玉壺春」にも出て来る。同情の無いことを云う。
◦仮ヲ弄(ろう)シテ真ヲ成ス。
作者不明の「隔江闘智」に出て来る。我が国の諺のいわゆる「冗談から駒が出た」と云うのと同じ。
◦好女ハ穿(き)ナイ嫁時ノ衣。
作者不明の「拳案斉眉」に出てくる。「好児は使わず爺々の銭」と云う語がともすれば禅家の書に出て来るが、この諺に甚だ近いと云える。
◦堂上一呼(いっこ)、堂下百諾(ひゃくだく)。(堂上の主人の一呼に、堂下の部下は揃って諾(ハイ)と応える。)
同じく「拳案斉眉」に出て来る。また「琵琶記」にも、高文秀の「誶范叔」にも出てくる。
◦是コ一番ノ寒サ骨ヲ徹セズニ、誰許(いずこ)ノ梅花ガ鼻ヲ噴(つ)キ香ル。
賈仲名の「金安寿」に出て来る。二字三字を換えて大いに用いられる俗諺である。特に禅家の書に多く見られる。
◦口ハ甜(あま)キコト蜜蜂ノ如ク、心ハ苦キコト黄檗(おうばく)ノ如シ。
武漢臣の「玉壺春」に出て来る。表裏の相違の甚だしいことを云う。
◦銭ヲ将(も)ッテ憔悴ヲ買ウ。(金を使って苦しみを買う。)
同じく「玉壺春」に出て来る。
◦雪上ニ霜ヲ加エル。
同じく「玉壺春」に出て来る。我が国の諺の「泣きっ面に蜂」と云うのと趣(おもむき)は異なるが情(じょう)は近い。
◦鉄ノ鞋(わらじ)ヲ踏ミ破ッテモ覓(もと)メル処(ところ)無シ、得(え)来タリテ全ク工夫(くふう)ヲ費ヤサズ。(出来ない時は何をしても出来ない、出来る時は難なくできる。)
「岳陽楼」などの馬致遠の作品に出て来る。やって見れば難しいことは無い。扱い方や用い方によってはおもしろい諺である。
◦人ハ善人ヲ欺(あざむ)く、天ハ欺カナイ。
作者不明の「殺狗勧夫」に出て来る。善人が騙されるのは何処でも同じとみえる。「人は欺くが天は欺かない」と云う諺、大層こころよい。
◦虎痩セテモ雄心在リ。
馬致遠の「青衫泪(せいさんるい)」に出て来る。我が国の諺の「鷹は死んでも穂を啄(は)まず」と異なる中にも同じものが在る。中国人の間にもこのような俗諺があると思えば大層頼もしい。
◦貴脚賤地ヲ踏ム。(貴人が卑しい当家に来られた)
同じく「青衫泪」に出て来る。「伍員吹嘯」や「玉壺春」等にも出て来る。
◦人ニ千日ノ好キ無ク、花ニ百日ノ紅(くれない)無シ。
谷子敬の「城南柳」に出て来る。後の小説などにも多く用いられている諺である。
◦悪人ハ自(みずか)ラ悪人ヲ磨(ま)ス。(悪人は自ら悪人を害する)
作者不明の「桃花女」に出て来る。また無名氏の「謝金吾」や「賺蒯通(たんかいとう)」にも出て来る。悪人が悪人を害するのは、毒が毒を制するようなこと。これまた俗諺である。
◦酒没(な)ク漿(しょう)没ケレバ、道場ヲ成サズ。(酒や飲み物が無くては宴会は開けない。)
同じく「桃花女」に出て来る。何も無くては埒(らち)が明かない。おもしろい。
◦好事魔多シ。
曽端卿の作る「留鞋記」に出て来る。また「琵琶記」にも出て来る。
◦牡丹ノ花ノ下ニ死ネバ、鬼ト倣(な)ルトモ也(また)風流。
同じく「留鞋記(りゅうかいき)」に出て来る。また李好古の「張生煮海」にも出て来る。「西遊記」の中やその他などにも多く用いられている情死を意味する諺で、好色漢の常套語である。
◦雪消エテ屍(しかばね)ヲ見(あらわ)ス。
作者不明の「抱粧盒(ほうしょうごう)」に出て来る。時が来れば事は露見すると云う意味である。
◦我ガ語ヲ将(も)ッテ他(ひと)ノ語ト同(とも)ニスル休(な)カレ、未ダ必ズシモ他(ひと)ノ心ハ我ガ心ニアラズ。
同じく「抱粧盒」に出て来る。用心深い諺では無いか。
◦人ニ逢イテハ只(ただ)説ケ三分ノ話、未ダ全テ一片ノ心ヲ抛(さら)スベカラズ。
「琵琶記」やその他に多くも散られている諺である。これも前と同様に用心深い諺である。
◦那箇(いずこ)ノ魚児(うお)ガ水ヲ知ラナイ。
楊顕之の「瀟湘雨」に出て来る。前に挙げた「那箇の猫児が腥を喫しない」と云うのと同じことで、おかしな諺である。
◦常ニ冷眼ヲ将ッテ螃蟹(かに)ヲ看レバ、儞(なんじ)ノ横行シテ幾時(いくとき)ニ到ルカヲ看ン。
同じく「瀟湘雨」に出て来る。世の中にのさばって、人も無げに振舞う者は、必ず終には忽然と倒れ屈することがあるものである。この諺は大層おもむきがある。
◦話(はなし)機ニ投ゼザレバ一句モ多シ。(話が合わなければ一句も多い)
関漢卿の「対玉梳」に出て来る。「琵琶記」の幾言諫父の文章に「酒は知己に逢えば千錘も少なく、話は機に投じざれば半句も多し。」と出ている。禅家の書などには煩わしいほど用いられている諺である。
◦一夜ノ夫妻、百夜ノ恩。
同じ書に出て来る。これも広く行われている諺で「琵琶記」や「漁樵記」その他の雑劇に煩わしいほど用いられている。
◦銭ハ是レ人之(の)胆。
鄭廷玉の「後庭花」に出て来る。この諺を聞いて、その通りとするのもまた支那人である。
◦餓狼(がろう)ハ口裏(こうり)ノ脆骨(ぜいこつ)ヲ奪ウ。
同じく「後庭花」に出て来る。難しくて危(あやう)いことを云う。
◦意ヲ著(こ)メテ花ヲ栽(う)エルモ花発(ひら)カズ、等閑ニ柳ヲ挿セバ柳蔭ヲ成ス。
思うことはかえって成らず、思わないことのかえって成ることを云うもので、また好きなものは成り難くて、それほどでもないものは得やすいとも云う。おもしろい諺ではないか。
◦麝(じゃ)有リテ自然(おのず)ト香(かぐわ)シ。
作者不明の「連環計」に出て来る。よい諺と云える。
◦山モ也(また)相逢ウコト有り。
喬孟符の「金銭記」と「揚州夢」に出て来る。「動かざるもの山の如し」と云うものを変化させたもので、おもしろい。
◦是非ハ只、多ク口を開クガ為、煩悩ハ皆強イテ頭ヲ出スニ因ル。
孟漢卿の「魔合羅(まごうら)」に出て来る。支那人の性質の一面にはこのような閉門主義を悦ぶ傾向がある。魔合羅の中で一老人が誓いを立てて、決して他人の事には関係しないと云うところを描写しのたは、大層おかしい。
◦虎ヲ画(えが)クニ皮ヲ画イテ骨ヲ画キ難シ。
同じく「魔合羅」に出て来る。ただ皮相を真似るのは易しく、骨髄を写し取ることは難しいと云う。
◦現鐘(げんしょう)ヲ打タズシテ、更ニ去(ゆ)キテ銅ヲ煉(ね)ル。
前に挙げた馬致遠の「青衫泪」に出て来る。世の中には一種変わった人が居て、目前の為すべきことを為さないで、かえって空想に走って他の事を計画する。このような人は大抵愚かで怠け者で欲が深いものである。この諺はこのような人の愚かさを罵って絶妙と云える。
◦巧妻ハ常ニ拙夫ヲ伴(ともな)イテ眠ル。
武漢臣の「生金閣」に出て来る。「駿馬多くは痴漢を載せて走る」と云う句と共に、小説雑書の類に煩わしいほど広く引用される俗諺である。
◦天ハ無禄ヲ生ゼズ、地ハ無名ノ花ヲ生ゼズ。
鄭廷玉の「看銭奴」に出て来る。これも広く行われている俗諺であるが、支那人の中にもこのような快心の諺のあるのを思えば、衣食にのみ心を使う人の情けなさは大層口惜しい。
◦路(みち)遥カニシテ馬ノ力ヲ知リ、日久シクシテ人ノ心ヲ見ル。
作者不明の「争報恩」に出て来る。これもまた佳(よ)い諺である。
◦児(こ)ハ自ラ養ウヲ要シ、穀ハ自ラ種(う)エルヲ要ス。
張国賓の「張李郎」に出て来る。重大な事は人に頼るべきでなく、必ず自分自身で為さなければならないことを云うのである。実によい諺と云える。また楊文奎の「児女団円」にも出て来る。
◦香餌ヲ安排(あんばい)シテ鰲魚(ごうぎょ)ヲ釣ル。
「賺蒯通」に出て来る。十分な設備をして大成功を期することを云う。
◦灯台ハ自ラヲ照ラサズ。
「李逵負荊」に出て来る。「灯台下暗し」と云う我が国の諺にやや近いが、少し異なるところがある。
◦家ヲ離レテ一里ナルモ、屋裏(おくり)ニ如(し)カズ。
作者不明の「硃砂担」に出て来る。この諺を見て、古来に遠征を苦にして家郷を憶(おも)う詩の多いことを考えると、支那人がどんなに我が家を神聖視している民であるかを知ることが出来る。
◦児孫ハ自ズカラ福ヲ有(も)ツ、児孫ノ與(ため)ニ馬牛ニ作(な)ル莫(なか)レ。
関漢卿の「胡蝶夢」に出て来る。営々として貯蓄だけを目的にする支那人の中にも、このような諺が成立していると思えば頼もしい心地がする。「美田を買わず」と云う語より「児のために馬牛となる勿れ」と云う方が辛辣の度合いが多い。よい諺と云える。
◦祗(た)ダ衣衫(いさん)ヲ敬(うやま)イ、人ヲ敬ワズ。(衣装を敬って人を敬わない。)
同じく「胡蝶夢」に出て来る。禅家の書にも出て来る。何処(いずこ)も同じ世情人心である。
◦螻蟻(ろうぎ)モ尚(なお)且(かつ)ツ生ヲ貪(むさぼ)ル。
馬致遠の「薦福碑」その他に出て来る。「生を貪らない者は無い」と云う意味である。道理には違いないがおもしろくない諺である。
◦家醜(かしゅう)ハ外ニ揚ゲズ。
鄭徳輝の「搊梅香」に出て来る。「争報恩」にも出て来る。禅家の書などにもしばしば出ている諺である。家の恥を外に云うのを厭わないのは我が国の人の悪癖である。「臭いものに蓋」と云う我が国の諺よりも、この諺の方が詩趣に乏しいようであるが、教訓としては人に適切である。
◦噬犬(ぜいけん)ハ歯ヲ露(あら)ワサズ。(咬む犬は歯を露わさない。)
悪を為す者、必ずしも容貌が寧悪では無く、却って柔媚な者さえ有ることを云う。張国瑤の「羅李郎」に出て来る。おもしろい諺である。
◦閒口(かんこう)閒話(かんわ)ヲ論ズ。
呉昌齢の「東坡夢」その他に出て来る。下らない人が下らないことを論じて、勝った人を罵るような意味にも、取りようによっては取れる。私が今このような俗諺を説くのも、意地の悪い人からは閑人閑話を論ずると笑われよう。ハハハ。
◦未ダ三尺ノ土ニ帰セズトハ云エドモ百年ノ身ハ保チ難ク、已ニ三尺ノ土に帰セバ百年ノ墳ハ保チ難シ。
人の身の頼りなく、世の情の変わり易いことを云う諺で、深刻で厭うべき諺である。「琵琶記」に出て来る。このような俗諺は、ただ甚だしく現世に執着する熱性の人の清涼剤になる以外は益も少なく、普通の人には却って取りようによっては害の多い諺である。
◦山寺日高クシテ僧未ダ起キズ、算シ来レバ名利ハ閑ナルニ如カズ。(山寺は日高くして僧未だ起きず、来てみれば名刹は閑寂としているだけ。)
「琵琶記」の中の宮廷の盛んなことを示す場面に出て来る。おもしろくない諺に思える。
◦小鹿児ノ如ク心頭撞(つ)ク。(小鹿の子が跳ねるように心臓が打つ。)
「琵琶記」の中の「琵琶蔡伯喈(びわさいはくかい)父母の画像を視る」の場面に出て来る。「漢宮秋」や後の小説などにもしばしば出て来る。胸がドキドキ躍ることを云う。
◦十日窓下ニ人問(と)ウ無ク、一挙名ヲ成シテ天下知ル。
同じく「琵琶記」に出て来る。後の小説などでも学生が試験に合格した場面では必ず用いられる諺である。
◦渾身是レ口ナリトモ分解難シ。
馬致遠の「黄檗夢」に出て来る。「全身が口だとしても言葉では云えない」と、感謝の気持ちを言葉では表現できない時に云う俗諺である。
◦能狼(のうろう)モ衆犬ニハ敵(かな)イ難シ。
尚仲賢の「単鞭奪遡(たんべんだっさく)」に出て来る。したたかな狼も多くの犬には敵わないと云うのである。
◦児ヲ養ウハ老ニ代(か)ワリ、穀ヲ積ムハ饑(うえ)ヲ防グ。(子を養えば老人に代えられ、穀物を蓄えれば飢えを防げる。)
「琵琶記」に出て来る。このような思想は我が国の人にも多いことだろう。
◦刀ヲ抽(ひ)キテ鞘ニ入レズ。
王仲文の「救孝子」に出て来る。人を驚かす快語ではないか。
以上は皆、私が支那の元の時代に出来た雑劇(元曲)や伝記を読み過ごした中で拾い出して記したものである。網羅するとまだまだ大層多いが、そこまではと思い今は筆を置く。
注解
・人名は元曲の作家名、「」内はその作品名。