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幸田露伴の随筆「潮待ち草34・35」

三十四 鋸
 私がまだ若年の頃、鋸を使ったところ、しばしば鋸が切ろうとする木に咬まれて、前にも後にも動かなくなることが有って、それが非常に悶(もど)かしく口惜しかったので、ある時大工と雑談をした折に、「鋸と云うものはその刃で木を切るのだから、長ければその刃が増えるのでどんなに長くてもよいだろうが、幅は用無しのようだ、幅が広いと摩擦が多くて力が空費される、かつまた木に咬まれて困る事も多い、幅を狭く造ったら宜しいと思うが」と云ったところ、大工は腹を抱えて大笑いし、鋸が木を切るのは確かに刃の働きですが、しかし幅もまた大切です、次第に切り込んでゆくためには、幅と云うものが有ることで鋸が右にも左にも曲がらず、容易に真直ぐ深く切り込んでゆけるのです。それなので、深く切る用途の鋸は幅を広く造ります、木挽きの用いる鋸を見れば分かります、鋸だけではありません、およそ刃物は皆その刃で物を切るに違いありませんが、特に幅を広く造ったものは、皆その幅の助けによって歪みなく深く切れるのです、畳包丁・煙草包丁・豆腐包丁、皆同じです、これと反対に鋸の中でも丸い孔などを明けるのに用いる引き回しという鋸などは、右にも左にも自由自在に屈曲して切り込めるように、その幅を狭く造ってあります、木に咬まれて困ったと云われるのは、持つ手の力の入れようが、右のほうに強過ぎたり左のほうに強過ぎたりして、千鳥足のように切り込まれたためで、手が悪いので、鋸の幅のためではありません、曲って切り込むことのないようにと造られた幅広の鋸を手にしてさえ、そのように曲がって切り込むような方では、曲がり易く造った幅狭の鋸を手にしたら、どれほど捩じれ歪んで切り込まれることか計り知れません、まして幅が長さを支えています、幅が無ければ長くはできません、それだけでなく幅があれば何時までも磨り減りに堪えるので、自然と永く使えます、これら利点の少なくないことをお知りにならないで、鋸の形の論議などをされるのは、甚だ根拠の無いことでございます。」と教えて呉れた。その後ひそかに考えたが、実に何事にも一見無用のようだが、実際は大いに役立つものの少なくないことを知って、鋸の刃だけを大切に思う考えは年々次第に薄らいでいる。

三十五 三荘太夫
 手拭(てぬぐ)いを「すひびら」と云う類の言葉に鋸を「さんしょう」と云う言葉があるが、これは三荘太夫の故事からきたものであろう。三荘太夫がどのような人かその実際を知ることはできないが、我が国ではマズ残虐酷烈な人の代表者だと云えよう。私はかつて或る人が「ミミズが毎夜土を盛り上げて庭を見苦しくする」と云って、大いに怒ってムクロジの皮の煮汁を大量に庭に撒き散らして、ミミズの悉くを殺したと云うのを聞いて、その人は非常に性質が美しく、ただ潔癖があるだけだったが、三荘太夫と云うのは彼のように、人の道に暗い我の強い男ではないかと思い、また或る人が雑草が庭に生えるのを嫌って、「アラメの煮汁を庭に撒けば雑草はことごとく死ぬと聞いたので、近日中にこれを遣って見ようかと思う」と云ったのを聞いて、「三荘太夫、三荘太夫」と胸の中でつぶやいたことがあった。瓦を安置するために用いる土は永く屋上に雑草が生えないようアラメの煮汁で捏ねると聞いたが、庭に撒くとは甚だしい。ミミズが庭に住むのでスズメや小鳥も下り立ち、夕暮れには小さなカエルなども飛び回ったりして趣がある。また老樹の根方や捨て石のそばなどに雑草が生えているのも、しおらしくて眼にやさしい。壊れた人形の手足や文字が書かれた紙などが散った庭などは、見るのも厭だが、地に住むべき者が少しばかり住み、生えるべき物が少しばかり生えるのが、何で苦しかろう。庭は汚(きたな)らしくなく、そして春夏には小草もあり、秋冬には落ち葉もあるべきで、余り厳しく掃き清めて舐めたようにしたのは、却っていやしい。

注解
・三荘太夫:説経節の「三荘太夫」に出て来る丹後由良の長者。極悪非道の人。
・ムクロジ:ムクロジ科の落葉高木。
・アラメ:コンブ目コンブ科に属する海藻。


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