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最近のルフィに憧れられない理由がわかった【週刊マンガ批評 〜第7回〜】

ワンピースとかコナンとか長きに渡り看板とされてるマンガを連載してる作家に共通することだと思うんだけど、やたらと「子どもの頃から何ひとつ変わっていないピュアな自分」というものを誇らしげに売り出してくる年寄り作家が多い。

実際のところは、老いと共に認知の変化はあるし、社会的にも大人の教養が身について着実に頑固になっているにもかかわらず、童心を失ってしまおうもんならメインターゲットである少年読者から見放されるかもしれないという不安に怯え、やたら「新しいものにも関心を示しています。まだまだ自分若いでしょ?」を漫画内で主張するようになったなと感じる。

特にワンピ、コナン、ハンター、一歩あたりのガキの頃に成功を収めてその貯金で活動しているような惰性作家に多く見られる。

ワードで若者言葉や流行アイテムをあからさまに使わなくても、主人公の行動や発言内容を、少年が憧れるキャラクター像に無理して寄せにいってるというか、媚びていると感じる。

作家が自身の子どもの頃の思い出を参考にして、「今の子どもにも俺の原体験が刺さるだろう」といった勘違いっぷりが、連載漫画のキャラクターにも現れ始めている。

尾田栄一郎が若い頃は、大人や社会に自分の漫画を認めさせるためにルフィという共感装置を描いていた筈なのに、今や尾田くんが一般家庭の子どもを喜ばせるためにルフィを拵えてる感じが見てられない。

今やルフィに熱狂してるのではなく、ワンピース という世界が残した謎の答え合わせで支持されてるだけの漫画。

コナンも同様に。

こち亀の秋本治とか、ジョジョの荒木飛呂彦や、刃牙の板垣恵介なんかは、新しいものをポイントポイントでは取り入れるけど、全体の作風は一貫しているから今でも愛せる。

ファッションで例えるなら、往年のモダントーンに要所要所で流行色の差し色や小物といったアイテムが入っているのが、ジョジョとか刃牙。

片やワンピとかコナンとかハンターは、ファッション全体を若者の流行りブランドで纏めている感じ。今これが流行ってるんでしょ?って上から目線で着なれないZARAを纏ってる軽薄さ。

キャラクターという、作家と年代の離れた読者を繋ぐ唯一の接点があるから皆んな誤魔化されているけど、普通にワンピとかコナンとかのセリフおじさん構文だなって思うよ最近。

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