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絵本を読んで思うこと。

子供の頃、好きな日本昔話は『わらしべ長者』と、あとは『三年寝太郎』このツートップである。
こう書くと、あまり勤勉でなさそうな香りがしてくる。
わらしべ長者は仏様に願いを叶えてもらったようなものだし、三年寝太郎は活躍はするものの、眠ってばかりだった…。
しかし、わらしべ長者は仏様の助言を最後まで実行したし、寝太郎は小さいことでは動かなかったが誰もが困ったときに動いたのである。
だからなんだと言われそうだが、ここに私の土台があるような気がするのだった。

私の一日は大体、通院と読書と詩作で出来上がっている。あとは当番制の家事か。一応パーセンテージは曜日で変わる。

ところで、わらしべ長者は長者になったあと、人々に還元したし、寝太郎はみんなを助けたあと、それにもかかわらずまた眠りに入る。
そうだね、ふたりとも人の役に立ち、押し付けがましくないのだ。

就職活動中、銀行の合同面接会で言われたのは
「あなたは銀行は向いていない。公務員にでもなればよい」
だった。
はい。なぜだかはわかる。地域に貢献したい、と言ったからだ。
うちの短大は就職はかなり強い方だったけれど、そんなアドバンテージが私の希望では無効になってしまうのだった。のちに私は公務員になった。

人の役に立ちたいとか、それは本心だったけれど、
そこには「だから私を愛して」が隠れきらなかった。なので当然押し付けがましくなってしまったのである。
人の役に立ちたい。何故なら役に立てば私を愛してくれるんでしょう?
駄目駄目である。重たすぎる。
だから『わらしべ長者』と『三年寝太郎』なのである。これは私の思う最高の生き方に近いのだ。理想の土台なのである。

大きい私と小さい私。
人と競いマウントを取り、自分を押し付けてくる大きい私は自分を虚しくさせるだけだ。
小さい私は、マウントなど考えない。人と調和し、その時必要な場所へ動けるのだ。
『わらしべ長者』も『三年寝太郎』も、おそらく小さい私なのだ。

ここでまとまれば綺麗なお話なんだけど、そういうわけにも行かない。
私は多くの時間を一人で過ごさないとすぐ壊れるのだった。
だからか、一対一ではなく複数の中に入るときは話のチューニングをどうあわせるかとか…そういうのが難しくて疲れるのであった。勝手な言い草だよ。

だから…本当に気を付けよう。


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