初めての寄稿依頼!…いいんですか?
雑誌「星々vol.1」「星々vol.2」のご購入について
ホントにいいんですか
初めて寄稿依頼をいただきました。
ひょんなことから人生初の短編小説を書くことになり、「第一回 星々短編小説コンテスト」に応募したのが二月のこと。その後は小説から離れ、短歌や俳句を作ってはこのnoteに投稿するという、いつものゆるゆるとした創作活動に戻っていました。そんな四月初旬、まさかの受賞のお知らせが届きました。(詳細はこちら)そして半信半疑のまま、何度かの校正を行い受賞の言葉を書き送り、掲載誌「星々vol.1」が手元に届いたのが五月。その雑誌に見覚えのある自分の文章を見付け、その報告を聞いた家族や友人の反応を見て、少しずつ実感が湧き始めた六月末、そのメールは届いたのでした。
一万五千字程度までの小説、テーマは「紙」だが自由に書いても構わない、受賞後第一作として次回発行の雑誌「星々vol.2」に掲載する、という内容の寄稿依頼でした。
四月とはいえまだ夜は冷えるというのに、頭全体が脈打って熱くなっていました。そしてなぜか私は脱力気味に笑っているのでした。初めての挑戦で、小説という体裁に作品を仕上げてコンテストに応募するのが精いっぱいだった私が、次の作品を寄稿依頼されたのです。読まれる前から掲載が決まっているというのです。
予想外の依頼に驚き戸惑い、そして同時に、そんな私に寄稿依頼なんてしちゃって本当にいいんですか、と依頼主を半ば心配するような微苦笑が入り混じって混乱していました。そんな中ではありましたが、私は既に決意していました。依頼を受ける旨の返事を送りました。つい最近まで小説を書くことなんて考えもしなかった私が、石橋を叩きに叩いて場合によっては叩き割ってしまうような慎重派の私が。混乱の中で我ながら驚いていました。もちろん不安はありました。でも後悔はありませんでした。この時やっと私は、受賞した実感が持てたのだろうと思います。こういう予想外の出来事が起こるのは受賞したからなんだ、と。
後悔はないけれど
後悔はありませんでしたが、やはり気持ちは揺れ続けました。
四月に受賞の知らせを受けて起こった波は徐々におさまり、私は以前の生活に戻りつつありました。祭りは終わった、そう思っていました。人生の中で何度か出会う幸運な事故のようなもの、ビギナーズラックだったと。でも依頼の連絡が届いて、実は、それには大きなおまけがあったと知らされた、そんな気持ちでした。また気持ちが波立ちました。
おまけを受け取らずに帰るという選択肢もありました。実際それは、おまけというには大きくて重くて、自宅まで持ち帰ることが出来るのだろうか、と道中の困難と達成への不安を感じさせるようなものでした。それでいながら、受け取る以外ないものだ、とも感じたのでした。心配性で慎重な性格ではありますが、頼まれれば、悩みや不安に押しつぶされそうになりながらも、どうすればなんとかできるのか考え始めている、私にはそんなところもあるのでした。もしかしたら、ある種の興奮が私を笑わせていたのかもしれません。この先にある山の険しさとその道程と頂上に広がっているだろう景色を想像して。
ところで今思えば、受賞作が掲載された雑誌に次回作が登場する、という流れは容易に想像できることでした。私はそんなことにも思い至らないほどの、のんびり屋でもあるのでした。
書くと決める
まず思いつく壁は文章の長さです。文章を書くのは嫌いではありませんでしたが、これほど長い文章はほとんど書いたことがなく書ける気もしませんでした。たぶん多くの会社でも同様だろうと思いますが、報告書やプレゼン資料などのビジネス文書では、短く要点がまとめられた簡潔な文章が求められます。私は長年の会社員生活ですっかりその文化に馴染んでいました。詳細で長い文章は、わかりにくく効率が悪いもの、と嫌悪されさえします。私の意見や感想など求められていないのです。そんなわけで、小説を書くなんてつい最近まで思いもよらないことでした。
それでも、プライベートで感性を開放する方法もあったはずですが、私は会社員としての役割に過剰に適応してしまっていました。いつの間にか感性を押し殺して自分が感じていることがわからなくなっていることにやっと気付いて、リハビリのつもりでこのnoteに投稿をはじめました。自分を表現することを楽しむ、そんな心境からはずっと遠くにいるのでした。
私が投稿する記事はほとんどが千から二千字です。いつのも記事を数本書く感覚で臨めばなんとかなるだろう、と勇気を出して書き始めたのが前作、初めての五千字の小説でした。それならば今回は、五千字の小説を数本書く感覚で臨めばなんとかなるだろう、と自分を納得させました。締め切りまで期間は十分ありました。それならば、とにかくなんとしても書き上げる、と決意するしかありません。
ところで、気付いた方はいらっしゃるでしょうか。依頼内容はあくまで「一万五千字程度までの小説」であって「一万五千字程度の小説」ではないことに。そうです。前作と同じ程度の長さの作品でも問題ないのです。でも、書くからには前回より長く書こう、一万字は超えよう、と勝手に決めていたのです。そんなふうに、こまったこまったと言いながら自ら進んで壁を高くする、そんな妙な癖も、私にはあるのでした。
信じて書く
問題は、品質でした。小説に品質なんて言葉が当てはまるかわかりませんが、掲載するに足る作品が書けるかどうか、ということが気がかりでした。文章の長さは努力でなんとかできるでしょうが、品質はどう確保したらいいのか想像もつきませんでした。私はいまだに、自分の作品のどこがどうよかったのかよくわかっておらず、とにかく、受賞したということは掲載に値する作品だと認められたのだ、という具合に納得したようなところがあります。コンテストという審査を通って雑誌に掲載されたのだと。ところが今回は、掲載が決まっているのです。まだ誰にも読まれていないというのに。しかも受賞者として。当然と言えば当然のことなのですが、これは大きな違いです。大変ありがたいことではあるものの、ただ完走することを目標としていた前回はそいういう意味では気楽だったともいえるでしょう。受賞の実感を与えてくれた寄稿依頼が、次第に重く感じられます。錘を背負ってスタートラインに立ったような気持ちでした。ビギナーズラックという言葉が暗い影を投げかけます。
次もまた掲載に値する作品が書けるのだろうか。経験が少ない私は確信が持てませんでした。もしひどい作品を提出したら、事務局の方に受け取ってもらえないのではないか。ご迷惑をかけてしまうのではないか。
しかし、そんな先のことは誰にもわかりません。まだ誰もその作品を読んでいないのですから。依頼をしてくださった事務局の方々を信じるほかありません。そして誰より自分を。
書けるものを書くしかない。書きたいなら書くしかない。
もしかしたら、この時初めて、私は受賞の本当の意味を理解したのかもしれません。
書くことに馴染むまで
なんて、随分深刻に書いてきましたが、まったく無駄で贅沢な悩みではあります。みなさんご存知のように、なんであれ、初めてのことに挑戦すれば、なんでこんなこと始めちゃったんだろう、というような心理的な抵抗や葛藤はついてくるものです。静かな池に石が投げ込まれれば波立ちます。つべこべ言わずにさっさと作品に集中すればいいのですが、理性がそう望んでも、感情は思い通りにはならず、実際にはこんな感じで、書くと決めた後も、寄せては返す波のように無駄な問答を繰り返すわけです。ましてや、これまで否定し続けてきた、自分を表現すること書くことならば尚更です。私にとっては、それはそれは大きな石が投げ込まれたようなもので、水が周囲に飛び散り池から水が溢れるようなありさまです。もしかしたら、池の形さえかわってしまったかもしれません。とすれば、小石が投げ込まれた時以上に、起きた波が静まるまでは時間がかかかります。自分を表現すること書くことという新しい習慣に馴染むまでは、これをしばらく繰り返すのだと思います。それは、少し苦しいことではありますが、ある意味愉快なことでもあります。こんな体験ができる環境にご縁に自分に感謝する、のは書き終わってからのお話ですけれど。
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