見出し画像

【短編小説】チョコが空を飛んでる【2000文字以下】

 今でも思い出します。

きっかけはあの日だった。彼女は天井を指差しながら、ソファーで寝そべっている僕に話しかけてきた。

「見て、見てー」

「んっ?」

「チョコが空を飛んでる」

「チョコ?」

 もちろんチョコなんて飛んでないし、真っ白な天井にはそれを連想させるものは何もない。彼女は両手を天にあげると、空中で何かを掴みそのまま口へと放り込む。

「ふふっ、いっぱい食べちゃった」

 僕の顔を見ながら笑顔になる彼女を見ると、本当にチョコが飛んでいたのかと錯覚する。そんな彼女の発想に僕は刺激を受ける。

 チョコが空を飛んでる世界を僕も見てみたい。それだけじゃない。まだまだこの世界には僕の知らないことがたくさんあって、知らないことを一つ知ることでまた知らない世界が増えていく。

 僕はどれだけのことを知ることができるのだろう。

 そんなことを考えていると、どんどん気になってくる。宇宙の果てだとか、死後の世界、深海の神秘に地球誕生。そもそもこの世界の始まりはなんなのか。

 現実世界に仮想現実、パラレルワールドにタイムトラベル。

 こんな話を聞いたことがあるようなないような。

「人が想像することは、すべて起こり得ること」

 事実は小説より奇なりという言葉があるように、人が創作するものは結局人としての範囲で収まり、この世界は人の範囲を越えた何かがあるのだろうか。

 小さい頃は知りたいことだらけで、よく親を困らせていた。何かを見つけてはこれは何?なんで?どうして?と質問責めのなんで君だった。

 大人になると、知らなくていいことばかり増えていく。本当に知りたいことはわからないのに、どうでもいい情報ばかり増えていく。

「明日おじさんと公園で遊びたい」

 さっきまで僕には見えないチョコを頬張っていた彼女がお願いしてきた。

「おじさんは明日仕事なんだからわがまま言っちゃダメでしょ」

 三歳の彼女の母である僕の妹が少し強めの口調で答えた。

「なんでダメなの?」

「仕事だからでしょ」

「なんで仕事なの?」

「大人は仕事するの」

「大人はなんで仕事するの?」

 彼女のなんで攻撃に段々と返答のスピードが落ちていく。僕はそのやりとりを聞いて、また昔の自分を思い出す。今度はそんな僕に彼女は攻撃をしてきた。

「仕事終わったら公園行けるの?」

「うーん、仕事終わっても行けないかな」

「終わったのになんで行けないの?」

「終わる頃には夜になっちゃってるよ」

「なんで夜になっちゃうの?」

「うーん、仕事してるからかな」

「じゃあ早く仕事すれば?」

「ははっ、そうだな、早く仕事すればいいね」

 そんなことを思い出しながら、今の僕は多くメディアから取材を受けている。

「可愛い姪っ子さんのおかげで、執筆活動がさらに向上したということなんですね」

 女性記者が笑顔でメモを取っている。

「そうですね、姪っ子に感謝です」

 そう、あの頃の僕は自分の限界を勝手に決めていた。仕事と行ってもアルバイトしながら惰性での執筆活動。たまたま取った小さな小説の賞が唯一のプライドであり、足枷となっていた。

 だけど、あの日僕はつまらないプライドとちっぽけな足枷を取っ払った。

「明日公園行こうか」

「行けるの?!」

「あぁ、大丈夫だよ」

「仕事は?」

「おじさんが決めたから大丈夫」

「そうなの?」

「そうだよ」

 運命というものや人生の岐路といったものは、人によっていくつもあると思うけど、そのきっかけは些細なものなんだろう。僕に取ってはあの日がそうで、人によってはそんなことでと思われる。

 取材時間も迫ってきた中で最後の質問を受けた。

「最後になってしまいましたが、今回の受賞で何か自分自身にご褒美といったものは?」

「そうですね…極上のスイーツを姪っ子と一緒にってのがご褒美ですかね」

「それは素敵なご褒美ですね」

 取材陣が帰ったあとに、静かになった部屋で一息つく。慣れないことをしたせいで、どっと疲れた。ソファーに寝そべると天井を見つめる。

「…チョコ」

 僕は手をそっと伸ばし、掴んだものを口へと運んだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?