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イチゴハウスに沿って植えられているマサキ

豊島(てしま/瀬戸内海)の甲生(こう)地区を歩いていて、いちごのビニールハウスに沿って植えられた木。ピンクの実が弾けて、なおのことかわいらしいです。食べられそうにはなく、手折るのもはばかれました。剪定されていたのです。Google Lensは「マサキ」と回答。

まき

以前、檀山(だんやま)で「まき」が食べられると教わり、口にしたらグミのような食感でした。ちょっと渋みが残り、ばくばく口にするものでもない印象でした。

豊島のいちご栽培は、豊島事件から始まったと長老に聞きました。豊島の新しい一次産業の育成に期待を込めて、助成金を得て7軒でスタート。有害産業廃棄物不法投棄事件により、豊島は風評被害で主力のみかんが売れなくなっていました。

みかん栽培が盛んだった頃、出荷の箱には「小豆島」と書かれていました。小豆島農協から関西の市場へ出荷していたのです。長老がJAの経済部長を務めていた頃の話だったか、豊島のみかん(正しくは小豆島)がトップ値をつけたことがあったそうです。そこへたどり着くまでの営業プロセスを聞くと、長老の語りが滑らかになります。長老、まだ豊島事件にかかりっきりになる前の話です。

みかん栽培は国策というのか、JAが注力した時です。斜陽の理由は豊島事件だけとも言い切れないように思います。豊島事件の公害調停の最中に、海水汚染から漁を廃業した記事が盛んに書かれました。書いてある通りでもあり、廃業の機会を伺っていたので豊島事件に乗ったという説も聞こえてきます。羊毛にしろタバコにしろ乳牛も、わあわあと活気のある導入期を経て、だんだんと転用して行く一次産業は、何にも豊島だけが特別なわけではなく、一次産業の衰退という流れの中では抗えなかった面もあるのではないかと気づいてきました。国をあげて、町をあげて、一家が勝負に出るような一次産業の隆盛。豊島事件を利用したのか、便乗されたのか。「両方でしょうね」という声が聞こえてきそうです。

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