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祈りのようなもの

なんだかなあ、という日が続く。
悪くはないけど、たいして良くもない。

毎日、何かをこなしているような、何もしていないような。
毎日、日めくりカレンダーをちぎっては捨て、ちぎっては捨て。
アボカドの種に水をやり、お日様にあてる。芽が出たばかりの種は、いつのまにか葉っぱが4枚ひらいている。
おまえはすくすく育っていいな。
毎日進歩があっていいな。


こんなときに考えてしまう、「もしも」

「もしも」あのとき別の選択をしていたら。
仕事、住まい、恋人、家族、趣味、
わたしのアナザーストーリーが無限に湧き出てくる。

後悔ではない。
そう、それは祈りのようなもの。

別の選択をしたわたしは、不思議なことに総じて幸せそう。
選ばなかった、選べなかった、踏み出せなかった人生、
どのわたしも、なんだかんだ幸せに暮らしているようだ。

その様子を想像して、わたしはほっと安堵する。
わたしは、選んだ道で幸せになれる人間だったと。

ああ、だから今も幸せだと思っていいのだと、
なかば言い聞かせるように。


不安になったとき、自分が不安定になったとき、
わたしは祈っているのだ、
わたし自身の可能性に。
それでも選んできた今のわたしを。


***


このnoteを書いていて、私も初めて気づきました。
あれは祈りだったのかもしれない。

いつの間にか梅と、桜と、新緑と、田植えが終わっていました。
そして早めの梅雨に突入。
湿気と共にちょっとゾワゾワした気分になる。

うまくいく毎日ばかりじゃないけれど、
自分と向き合う気分になれる日は、noteを書きたい。
下書きで終わったっていい。
書けばなんか変わるよ。










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