見出し画像

食欲にも多様性

古今東西、いつの時代になっても食欲というのは興味のある話題ではないかと思います。
食欲があるから食べてしまう。
食べてしまうとウェートが増えてしまいますから、食べないようにしたい。
食べたいのを食べないようにするのは辛いので、どうにかして食欲を抑える方法はないものだろうかと考えます。

まるで食欲が悪者かのようです。
ウエートが少ない、比較的見た目がスリムな方が女優さんやモデルさんなどに多いですから、それに近づこうとする。

医者に行くと、膝が悪いのもウエートのせいだと言われる。

なりたい自分がそこにあるのに、一向に近づけないのは食欲のせいである。
というふうに、食欲に原因を求めます。
まるで最大の敵のように食欲を取り扱います。
食欲を制する者は美も健康も制するのだと言わんだかりです。

一言に食欲と言ってもいろいろな種類があります。 

たとえば、人間の身体には緊張とリラックスとがあります。
緊張をしているから食べるという現象がある。
どこかで神経が緊張していて、その緊張を緩めたいから食べるという現象があります。
 
整体では背骨を中心に考えますが、背骨の中には食欲を現わす骨があります。
背骨の説明を詳しくすると、あまりにも専門的になりすぎますので割愛させていただきますが、背骨を観察すると人間の食欲にはいろいろと種類があることがわかります。
 
食欲とは、身体にエネルギーが足りないから、エネルギーを補給する為に食べる。言い換えると、生存の為に絶対的に必要な食欲であるということです。生存という人間を含めたあらゆる生物が有する欲求です。
 
食欲を他の別の例でいうと、エネルギーはあるにもかかわらず、時間があるから食べている。
 
お昼ご飯を食べて、何となく夕食まで時間があるから、何となく台所に座っていると、何となく目の前に大福もちがあるのを見つけて、何となく大福もちを食べたくなってしまうから、何となく大福もちに手を出してしまう。
 
おなかが減っているわけではないのけれど、何となく大福もちが私を呼んでいるような氣がする。
そして、ついつい食べてしまう。

これは生存欲求が由来する食欲ではない。
大脳が由来です。
 
生命維持のために食べている骨もあれば、時間をつぶすために食べている骨もある。すべて背骨に現れます。
 
われわれ整体の人間は、その人の食欲を心理的な分析をする前に身体的な分析として判断します。
 
ほかに時間をつぶすような趣味を持つことで、食欲を抑えることができる人は、ある意味で食欲の異常なのかもしれません。
 
しかし、ただ生きるためだけに食べるというのも、味気ないものだとも思いますが・・・
別腹が私たちの生活を彩るものである。
葛藤は消えないものですね。



読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。