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リアルなつながりが教えてくれる

 周りのことすらわかっていない

 自分の身の周りで起こっていることを自分がすべて理解しているように思うものですが、ほんとうはそうではなく自分の身の周りに起こっていることでも自分自身が理解している、認識していることは多くないように思います。

 われわれ人間には大量の情報が目の前、身の周りに襲い掛かってきます。その中でわれわれは自分がひつようだと思う情報のみを選択して認識しています。

 その選択をしているのが大脳の働きです。たとえば大脳が選択していらない情報を認識しないようにしてくれないと、ぼくたちは自分の鼻がじゃまでじゃまで仕方がありません。

 目を開けると自分の鼻が目の前にあるので、ろくに景色を楽しんだり、映画を楽しんだりすることができないのです。

 でも自分の鼻を見ようと思いますと見ることができますよね?自分の鼻の先に目のフォーカスを合わせて鼻先を見ることはできます。でも普段は自分の鼻先なんて見えません。

 このように大脳は、そもそも自分の都合のいいものしか見ないようにできているのです。それが大脳の働きですから。だから、身の回りに起こっていることでさえ、ぼくたちには知らないことがあるのです。

 むしろそっちの方が多いのかもしれませんね。

 年末総会でのできごと

 田舎に住んでいますと、その地域地域をうまく回していくためにいろいろな役目をそれぞれがこなさないといけないんですね。

 その部落を一年間どういう予算でどういう活動をしてっていうのを決めたり、いろいろな役員を決めたりします。役員になったらいろいろなことを決めてスケジュールに則っていろいろな行事、活動を取り仕切って行きます。

 もちろん前年までの流れに則ってそれほど大きな変化もなく、例年のことをなぞって行くだけなのですが、それはそれでいろいろと大変なのです。

 都会に住んでいましたらこういった経験もできなかったのかもしれませんが、田舎でこういうふうに生活していく上では無理やりにでも役割りを与えられてなんだかんだとやっていくのもそれはそれでいいものだと思います。


 つい先日の話なのですが、ウチの部落の年末総会がありました。ぼくは今年は役員でしたので役員席に座り、当日に選出された議長さんが会の司会進行を取り仕切り、区長さんや各役員さんが各部の活動報告をしていました。

 基本的に年末総会は報告会と次年度の役員選出がメインなのでそれほど長い時間かかる会ではありません。ただし、いろんなことがあった年には紛糾するときもあるんですけどね。今年はそつなくスラスラ進行していきました。

 あまりに早く終わりそうだったので、議長さんも「他になにかありませんか?」ってなにか議論する議題の提案を促します。普通はこういった部落の運営や各部のこと以外のことを話すことはないのですが、今回はそういった機会がありました。

 そうしますとあるご婦人が挙手されました。

 お話によりますと、そのご婦人のお宅の敷地内になるのですが、敷地内のある一角に賽の神さまの塚がある、と。そしてその賽の神さまは昔、道路が通っていてそこを行きかう旅人の道しるべになっていたのだ。それが新しい道路が整備されて、その道は今ではもう誰も寄り付くことがなくなってしまって、木が生い茂り草が生え手入れがたいへんで仕方がない。

 近くのおじいさんが手伝ってくれるのだけれどいつまでもこういうことはできないと思う、ということでした。ご夫人も亡くなったご家族さまからそういうふうに伝え聞いただけなので詳しいことはわからないということでした。

 そうしますと最古参のおじいさんが挙手され、おそらく江戸時代くらい話ですが、ご婦人の家の方角に旅人が行きかう道があったそうです。しかし今では道路もなくなってしまって誰も寄り付かなくなってしまっている、ということでした。その頃の道しるべとして賽の神さまがいたのでは?ということでした。

 ご婦人の話では以前には賽の神さまがいるということで詣りに来られていた人もおられたそうです。そしてこの賽の神さまは縁結びも神さまで、賽の神さまを参った方の子どもさんがご結婚されて幸せに暮らしておられるということでお礼参りに来られたということでした。

 その賽の神さまのお手入れを部落でやることはできないか?という提案でした。

リアル環境ではじめてわかる

 こんな近くにそんな歴史ある縁結びの神様がいたんですね~!ぼくは移住してきたから知らないのかな?って思って聞いていたんですけど、ほとんどの人が知らない様子でした。

 そういった住んでいる地域でさえ昔からある言い伝えとかもどんどん消えていくものなのかもしれませんね。

 ぼくたちは身の回りにあることや起こっていることでさえ認識できていない、知らないことが多いです。

 距離的なものもあるかもしれまいのですが、身近にいる横の人や縦の人とこうやってつながって情報交換することで自分だけでは気が付かないことも気づくことができるのかもしれません。

 たとえば今回の賽の神さまのお話ですが、インターネットで見つけた情報だったり、顔も見たことのない人から得た情報だったらどうだったでしょうか?そこまで印象深く残っていないでしょうし、心に残ることもなかったでしょう。

 ネット上ではいろんな情報が洪水の如く存在し流れていきますがリアルな場面でつながることもとても大事なことだなぁって思いました。顔を観て話すことってそれだけで親近感がわくから不思議です。

 そういった人たちから得られる情報ってそれだけで価値があるものです。


本日もお読みいただき、ありがとうございます。

読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。