見出し画像

「好き」を選ぶと消耗する

条件反射的にしていること

陰と陽はふたつ存在しているのではなく、たったひとつの大いなるものが陰を呈したり陽を呈したりしています。陰と陽はひとつのものであるというのが東洋思想であり、陰というものと陽というものが別々に対立して存在しているというのは西洋の思想だと言われています。本来は東洋西洋関係なく、どちらもたったひとつのものを現しているのですが、何となくそういう風に理解されているようですし、別々のものをして認識されていることの方が多いようです。

別々のものとして認識するのがどうやら最近のわたし達は得意なようです。すぐに「どっち?」ってやっています。ほとんど無意識的に、ほぼ条件反射的に、別々に分けています。社会の分断が叫ばれていますが、わたしは「これです」とか「これがわたしです」と言えないといけない現代においては「わたし」と「わたし以外」が常に存在する。ますます人間と人間の分断は進むだろうし、それに伴って社会の分断も進むんだろうなと思います。


「好きなこと」という呪い

「好きなことをしたい」「得意なことをやろう」「好きなことだけをやって成功する」というようなことをよく耳にします。とても耳障りのいい言葉です。若い人たちの間でもそういった傾向がありますし、働き盛りの方々からもよく聞く言葉ですが、わたしにはある種の呪いの呪文のようにも感じます。

「好きなこと」の反対側には「嫌いなこと」があり、「得意なこと」の反対側には「不得意なこと」や「苦手なこと」があります。

「嫌いなこと」は嫌いになる理由がどこかに存在し(それが真か思い込みか勘違いかの違いはあるのですが)それをきっかけに「嫌い」に分類されるようになります。「好き」も同様に何かしらのトリガーがあって「好き」になる。「好き」「嫌い」が固定化する人もいれば、固定化の程度がずいぶん緩い人もいます。

「好き」に付随する感情は概ね「喜び」とか「安心」とか「ホッとする」とか比較的ポジティブなものが多い。「嫌い」に付随する感情はネガティブなものが多いものです。ネガティブを回避するために「好き」を選び続けるというのもある意味で頷ける。ネガティブを避けるために「好きなことをしたい」「得意なことをやろう」「好きなことだけをやって成功したい」という風に考えるようです。

そしてそれがうまく行かない人(多くの人はそうなのですが)はとてもとても苦悩する。「好き」がいいと思っていますから。「好き」を選ぶ自分が正しいと思っていますから、現実的にそうではない自分自身を責める。責めたところでどうしようもないのですが、責めてしまう。「責める必要はない」などと言われても「好き」が理想ですから。少しづつ「好き」が呪いという感じになってきましたね。

人を分断するための日常に隠されたワナ

こういったことを経験しました。


メールアドレスをお持ちでない人ってあまりおられないと思うんです。ご高齢の方(ちなみにわたしの義母は持っていません)はお持ちでない方もおられるかもしれませんが、多くの人が持っておられます。複数のアドレスを個人用とかビジネス用として併用されている方も多いのではないかと思います。

わたしの指導室でも会員さまに登録していただく際にはメールアドレスをお知らせいただくようお願いしております。会員さまで、かつ了承いただいた方には会員さま向けメールを配信しています。週に一回の配信ですが、健康について四柱推命や風水についてなどその都度わたしが気になったことやお伝えしようと思うことを配信しています。毎月の風水対策や講座のご案内なども無料でお知らせさせていただいています。

新しい会員さま。入会していただき、ご登録いただくのですが、メール配信は不必要ですと回答される方もおられます。それはご本人さまのご意向ですし、絶対に配信を受け取らないといけないということはありません。完全に任意です。いつでも配信を中止することもできます。配信していたものを「要らない」と意思表示することはできるのですが、「要らない」としていたものを「要る」とするには受け取っていないからわかりません。残念だなと思う反面、致し方ない面もある。

わたしもそうなのですが、いろんなメールがやってきます。実際に会員さまからのものだったり、お問い合わせのものだったり、仕事上必要なメールがあります。他には友人とのやり取りなど個人的なメールもあります。でも一番多いのが広告販売メール。これがめちゃくちゃ多い。いつもどこかで何かのセールをしている。お得情報がいつもいつも溢れかえっている。中にはそれほどお得ではない?というものも交じっています。


本当に毎日毎日たくさん来ます。いちいちチェックしているとそれだけで一日が終わってしまいそうです。中にはアンケートと称したものまである。わたしのメールボックスに来たある一通のメールがありました。件名にはサービスの向上と改善のためのアンケートと書かれていました。そうかそうかと思い、アンケートに協力しようと思ったんですね、何を血迷ったのか。そしてメールを開く。結果的にアンケートには答えず、すぐにそのメールは削除したんです。何を思ったかと言いますと、アンケートメールに答える人の善意を担保にして何を得ようとしているのだろうか?です。ここでまた最終的に個人情報を垂れ流す。困っているから協力しようという善意を踏み台にまた広告メールがやってくる。ほんとうに血迷っていたんだなと思いました。疲れているんだな・・・・とも(笑)

でもこういった経験を積み重ねていくと優しくしようなんて思えないでしょうし、寛容になんてなれようはずがない。誰かが誰かを騙そうと、利用しようとしている中で優しく何てなろうとは思わなくなるんだろうなと。「やさしさ」とか「人に優しく」は早々になくなるのかもしれない。誰もが自分だけのことを考え、自分と自分の周りのことだけを考え、その中でも先んじようとしているのですから。

そりゃ生きにくい世の中になるだろうとも思いつつ、「好きなことをしたい」「得意なことをやろう」「好きなことだけをやって成功する」という甘いワナも見えてくる。

「好き」と「嫌い」がある。このどちらを選んでも半分の世界。「好き」を選んで半分。また「好き」を選んで半分。また「好き」を選んで半分。「好き」を3回選んだら1/8になったのがわかります?

「好き」を選び続けるとどんどん減っていく、消耗するのです。わたしたちは100であるはずがいつのまにか1/8になっている。そりゃ窮屈で生きにくくなるわけです。ですから呪いの呪文からは早く解放された方がいいでしょうね。「好きなこと」なんていうことから解放されて本当の自由を享受しましょう。

読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。