みぞおちが硬いヒーロー
ぼくが子どものころのヒーローは、悪者を「許せない!」ってやってつけていた。
普段は心優しいヒーローも、悪者が弱い人をあまりにもいじめるものだから、「許さないぞ!」ってやっつける。
その悪者が、怪獣の場合もあるし、怪人の場合もあるし、ばいきんまんの場合もある。
ぼくたちは、そういうヒーローをみてきたんだ。
ぼくたちのヒーローは強かったし、弱いものの味方で、悪者をやっつける存在だった。
この形式って、けっこうあって、いま医療機関に出張しているときでも、窓口で大きな声を出している人がいる。
その人は、その人なりの正義を振りかざしているのだけれど、案外思い過ごしのことが多い。
医療機関は、病気とかケガとかそういったものを取り扱っている。病気やケガに見舞われた人は弱いものになるわけだ。あくまで、そのときだけ、一時的に。
そういった人や、その周りにいる人からすると、医療機関にいる職員は、弱いものをいじめている悪者のように見えることがあるのかもしれない。
悪者は許さない。徹底的にやっつける。それが正義だ。
ぼくたちは、そういったヒーローを見て育ってきたから、悪者とされているものの気持ちなんて、考えたりしないんだろうな。
許さない、やっつける、正義。
これってほんとうは偏っていることだ。善か悪しかない世界。そんな偏った世界は生きにくいだろうな。
善しか認めない。そんな息苦しい、偏った考えを持った人のみぞおちは、たぶん硬い。
整体では、みぞおちの硬さは頭の固さと考えている。
整体操法をしていて思うことだが、みぞおちが硬い人は、普段から神経を細かく使っていて、頭のなかがいつもグルグルと回っている人だ。
やらなくちゃいけないことや、すべきことばかりに気を取られている人だ。
たとえば、40代の女性。
家事に仕事に、毎日毎日フル回転している。時間に追われ、スケジュールに追われている。
仕事ではポストこそないものの、男性社員顔負けの仕事をこなしている。なんでもテキパキとこなす彼女に対する、周囲からの信頼は厚いものの、ちょっと煙たがられている傾向もあるようだ。
家庭に帰っては、2人の子どもの母親として、家事全般をテキパキとこなす。夫は仕事ということで、帰宅が遅くなりがちで、家事のヘルプとしては使えない。
子どもたちも、それなりに大きくなっては来ているものの、子どもたちに夕飯の支度を任せるのは、母親として、してはいけないことだと思っている。
そのせいか、上の子どもはもう高校生にもなるにもかかわらず、玉子焼きひとつ作れない。というか作ろうともしない。2人の子どもたちは母親が夕飯の支度をして、じぶんたちを呼んでくれるのを、ただ待っているだけなのだ。
彼女はそういったことを嘆くものの、本心ではそれでいいと思っている。そうやって母親としてしてあげることが母親としてすべきことなのだ。
彼女はいま、大きな病をかかえている。
まぁこれは「休みなさい」ということなんだろうけど、彼女はどうするのかな?
彼女のみぞおちは、いつも硬くなっていて、息も浅く、落ち着きがなかった。整体操法を受けて、みぞおちが緩くなったのにも気が付かない。息が深くなったことにも価値を見出せなかったようだ。
けっきょく彼女は、じぶんの生活を何にも変えようとしないから、またみぞおちは硬くなる。
硬くなりすぎたみぞおちって、押さえられるとけっこう痛いと思う。
硬いのをぐいぐい押さえられても、横隔膜は簡単には緩まないもんだったりして、意外とテクニックがいる。
みぞおちの部分には横隔膜というものがあって、横隔膜って息を吸ったり吐いたりすると動く。たくさん息を吸うと横隔膜は大きく動くし、たくさん吐くときも大きく動く。
みぞおちの硬い人の横隔膜は動きにくいから、息がろくに吸えないし、吐けない。だから、いつも苦しいんだ。息苦しくて、はぁはぁ言っているようだ。
そして、じぶんが苦しいから、他人に対してもきつくあたるしか方法がない。他人の側からしたら、とても迷惑な話だ。
そんなにしてまで、みぞおちを硬くしておくことに意味があるんだろうか?
さいきん、腹式呼吸がいいとか、ヨガをやって気持ちが落ち着くとか、言いますが、どちらもみぞおちが緩まるからなんだろう。
みぞおちの硬い人はこころも硬い。了見が狭くて、こころが硬い。
残念ながら、小さいころぼくたちが見ていたヒーローのように振る舞えば、みぞおちがガッチガチな人間になってしまう。
みぞおちが緩まるとこころが緩まる。
こころが硬いって思う人もいるだろうけれど、そういうふうに思うんだったら、みぞおちを緩めればいい。
みぞおちが緩くなったら、きっとこころも緩くなっているはず。
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