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検索してわかることとわからないこと

 調べようとしていることが個人的なことになればなるほど検索しても引っかからない。検索エンジンがあるから調べること、検索することに対してのハードルは下がったんですけど、その分、調べたいことや知りたいことって増えて行って、それだけ知識が増える。

 でも、ほんとうに個人的なことは検索しても出て来なくて、知識が簡単に検索できるようになったからこそ、自分だけのものを検索したくなるし、そういったサービスが求められるのではないかと思います。

調べることが簡単になった

 何か気になることを調べようと思うと、少し前まで、といいますかぼくが学生の頃(何十年も前ですが)は辞書で調べたり、それ相応の情報誌とかを漁ったりしました。そうは言っても調べるのは試験に出てくる英単語とか京都のおすすめのスポットだったりです。

 なんで京都かといいますと、当時お付き合いしていた彼女が京都に住んでいたからです。彼女は京都の大学に他の県から来ていたので、下宿をしていたんですね。で、京都はふたりともちんぷんかんぷんだったので、どこか行こう!っていうことになりまして、その下調べがてら関西ウォーカーとかで調べました。「こんなんあんねんやぁ~」って思った記憶が。

 あのときは結局どこに行ったんでしょうか?それは忘れちゃいましたね。


 でも今だと検索エンジンで簡単に調べることができます。英単語も京都のおすすめのスポットもどっちも一発で検索可能です。

 簡単に検索できる、調べることができるとなると案外いろんなことを調べようとしているのがわかります。


 因みに今ぼくの検索エンジン、Googleさんに「あ」って打ち込んだら、愛光流、Amazon、アマビエ、愛知県って出てきました。

 アマビエ、調べたんや。愛知県っていつのこと?でも、なんで調べようと思ったのかは思い出せます。

簡単に調べられると知りたいことが増える

 簡単に調べることができるようになると、不思議なことに調べたいことや知りたいことが増えてきます。これまで、あれこれと調べるのに辞書で調べるときは億劫であんまりやっていなかった。もういいやってやめていたんだろうと思います。

 アマビエと愛知県を同時に検索することができる本なんて多分ないでしょうね。

 こういったようにひとの興味、調べたいことや知りたいことっていうのは多岐にわたります。

 Googleさんのように何でも聞けるって言うのがあるとついついあれこれと聞いてしまいます。あれも聞こう、これも聞こう、こういう場合ってどうだっけ?って言う感じでいろいろ聞ける。

 いろいろ聞いてね、って言われてもあまり聞けないのに。ひとつ何でも聞いてもいいんだって思うと、案外知りたいことっていっぱいあります。


質問するのが苦手

 授業中なんかに先生に質問するのとか上手な子がいましたけど、ぼくは全然でしたね。授業を聞いてはいるんですけど、質問を思いつくところまでいかない。

 セミナーとか講習会に参加してみてもそうでした。なんとか理解しようと聞いているんですけど、わかっていると思うんですけど、そこから質問ありますか?って言われてもわからない。

 でもその機会が終わって、質問や疑問が出てくると検索エンジンで検索はする。

 ある程度まとまった時間とか期間がないと何が疑問のかもわからないんだなと思いました。

 多分、そういったことってぼくだけじゃなくて、そのときにはわからなかったけど、今この時に疑問に思うことってあると思うんですね。


 たとえば会計のことで疑問に思うことがあったら、その専門家に聞いてみればいい。会計士さんとかですかね。身体のことで悩みがあったら医師に相談したらいい。でもこれをつなぐことって結局自分でやっている。

 自分で問題を整理して、分類して、会計だから会計士さんに連絡しようとか、健康問題でも腰が痛いだから整形外科のお医者さんのところに行こうとかします。

 でもこの問題の整理、分類がそもそも間違っていたらその専門家は問題を解決できないのではないでしょうか。これは専門家の問題ではないかもしれない。

自分に合ったものを選べるか?

 たとえば咳をしている人がいるとしましょう。整体では咳が出るというのは基本的にはいいことと考えています。とくに愛光流ではそうです。咳というのは身体の反応として出ているのであって、咳が必要だから咳が出ている。咳が不必要になったら咳は止まる。要らなくなるのだから。

 でもその咳がその人をこわしていく方向性の咳だとすれば、その咳は止める対象になります。

 これが止める咳なのか、それとも身体が必要として出している咳なのかは検索しても出てきません。

 

 咳に関してもうひとつ。咳というのは呼吸器の異常じゃないですか?呼吸器に異常が出たら咳が出る。それはそうなんですけど、整体の観点からだと心臓の咳というのもあるんです。心臓に負担がかかるために出る咳がある。

 先の呼吸器の異常の咳ですと呼吸器を操法します。しない場合も多にしてあるんですが、とりあえず。呼吸器に問題がある咳の場合、呼吸器に対して操法を設計します。

 しかし、心臓の咳の場合は呼吸器の操法をしてもあまり芳しくありません。心臓の咳の場合は心臓の操法をしないといけないのです。

 

 そして、呼吸器なり心臓なりの操法をすると、咳が止まったり楽になったりします。不必要になったっていうことですね。


 このような整理や分類分けは自分ではうまくできないことが多いです。咳の分類だけでも、仮に隣りの部屋で咳をしている人とは異なったその人の特有の超個人的なものになります。もちろん検索には引っかかってきません。

 呼吸器の咳、心臓の咳というのがあったとしても、いまの起きている咳がどちらに分類されるのかは検索しても出てこないものです。


 ぼくはこれからはそういった個人的なことに多方面からお応えできるサービスが求められるのではないかな?と思います。



 本日もお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

 

読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。