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こんなこと言ってもいいのかな?って思っていました


普段の日常生活の中で自分の身体を顧みる時間がある人、ほんとうはそんな時間がない人はいないとは思うのですが、それを習慣にしている人はほんとうの意味で豊かなのだと思います。

ついつい自分の身体の都合よりも周りの都合を優先してしまいがちなのが人間だと思います。家族の都合や会社の都合、友人の都合などを優先しがちなものです。自分の身体の個人的な都合はグッと飲み込みがちなのです。

それでも周囲の人から観て明らかに体調の悪い人はまだ幸せな方なのかもしれません。「大丈夫?」「帰って休んだら?」とか心配してもらって、休養を取ることができるからです。

そんな生易しいモノばかりじゃないよ、って言われるかもしれませんが、さすがに骨を折っていたりしたら、さすがに大きな傷ができて血を流していたらどうでしょう?

一応知り合いや顔見知り程度でも心配してくれるんじゃないかな?って思います。

このように表に現れる体調不良や不調ならわかりやすくていいのですけれどもおおむね体調不良というものは周り観てわかりやすいモノばかりではないのです。

話を聞いてみると「実は数日前から下痢が続いていて」とか「もう何日も熟睡できないんだ」とか言う話はよくあることです。 

聞いてみて「実は数日前から下痢が続いていて」とか「もう何日も熟睡できないんだ」とか言ってくれる人はいいのですが、「イヤ、とくに変わったことはないですよ」とか「まぁまぁです」的なことを言う人もいます。

下痢が続いている自分、何日も熟睡できていない自分を当然のことだとでも思っているのでしょうか?

こんな人がいました。割りと大きな病気を若いころにされたそうです。以後も経過観察中で定期的に大きな病院に検査に行くそうです。いくらかの症状があるときもあるのですが、本人は「こういうこともよくあるし、いつものことです」くらいにしか思っていませんでした。

自分の持病のことを話す人。これも2種類に分かれます。
めちゃくちゃ言う人と決して言おうとしない人です。

めちゃくちゃ言う人って周りにいません?昼食後とかにこれ見よがしにクスリを服用する人。しかもこっち向いて。「それ何のクスリなんですか?」そう聞かれるのを待っている感じ。聞きたくないですね~。でも聞かないといけないんだろうな・・・って心の中で葛藤して、聞いてしまうとしばらく病気の話が止まりません。そんな人いませんか?

この人は決して話そうとはしないタイプの方でした。

でもいろいろと操法をしていくうちに持病のことを話してくださるようになりました。

整体の可能性をきちんと話せていなかった自分の方がよくなかったのです。

それからその人が病気のことを話すのはご自宅と整体指導室と大きな病院になりました。少しは役に立てたかな?と思います。

持病の加減で体調があまりよくないこともあるのですが、そういったことも話してくださるようになりました。

その人は言いました。「こんなこと言ってもいいのかな?って思っていました」って。

誰しもそんな気持ちはありますよね、こんなこと言ってもって。でも自分の身体のことってけっこう自分の中での優先事項ではありませんか?それを優先しないでいることはほんとうは豊かなことではないのかもしれません。

そうかと言って誰にでも彼にでも自分の大事な部分を言うことはできません。この人なら話せる、そう思っていただけるように心がけていきたいと思います。

いつも受けて下さっているとはいえ、たった一回の整体操法とはいえ、気持ちよく受けてくださるように、満ち足りていただけますように。


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