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天命を果たすのだ

 人間にはそれぞれ天命というものがあり、天命を果たすというのがひとつの使命のようです。

 その天命というのがわかると、それはその人なりのしあわせであり、天命を果たすべく日々努めていくというのがほんとうの意味での個性であり、多様性です。まず目標がないとRPGゲームでも始まらない。ゴールがあるから物語がスタートするのです。

 ところが、この天命。自分の天命というのはいったい何なんだ?と言うのが難しい。学校でも習いませんし、親だって教えてくれません。ですから、ぼくたちは自分のしあわせとか生きる意味というものを模索し、自分を探そうとします。それはそれである意味で正しいことかもしれませんし、当然のことなのかもしれません。わからないからこそ、他人と比べてみたり、社会的な、一般的な成功やしあわせを求めて、苦しむ。向いてないんだもん。

 ですから自分が何をするために、どこに行ったらいいのか?それを考えることは何となく生きているよりは有用なことでしょう。

 しかし、あまりに迷いに迷い、わけがわからなくなってしまうのも事実です。どこかに天命というのが書いてあればいいのに。

 ぼくは四柱推命を用いますが、四柱推命はある程度、そういった天命を知るというのに適したものだと感じています。「○○式占い」とかもいいかもしれませんが、やはりそこはこれまで培ってきた伝統が違います。歴史が違います。歴史が違うということはそれだけ膨大な仮説と検証をしてきた結果です。ですから「四柱推命を基にした○○占い」とはもはや四柱推命ではありません。これまでまでのデータに背を向けているようなものです。


 さておき、天命というのですから天が命じているとか天の命令とか天から与えられた任務といったものでしょうか。天がわれわれ人を作った。天が生かしてくれている。この世に生まれてきたからには何か目的や意味があるはずだ。ということを考えます。


 天命はなんだろう・・・?と考えます。


 四柱推命では天と地があり、それらすべてが人間を現しています。

 ぼくたちはいつも人間の立場から天と地を観てきました。

 もし天の立場だったら人間を観てどう思うだろう?もしぼくが天だったら、ぼくが人間を作るとしたら、意味のない人間は作らないだろう。かならずそれぞれのキャラクターに意味を持たせるでしょう。

 役割りをそれぞれに与えるし、それぞれのキャラクターがはばたくのを待っていると思います。


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