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何だか知らないうちに、がいい

 目的とか目標を事前に決めて、分解して、分析して、それに向かって努力する。その結果、目的とか目標というモノを達成することができる。

 それはそれで、すばらしいことだけれど、何となくうまく行ったというのもいいんじゃないかと思う。


 目的とか目標を決めてしまうと、それがもらえないってなったときに、その挑戦は失敗に終わる。

 でも、いいことを続けている内に、何だか知らないけれど、よくなっていたんだっていうのがうれしい。何だか知らないけどうまく行っていた。


 何がよかったんだろう?って言うのもいい。結局のところ続けられることを、ただ続けていただけなんだから。

 そう考えると、極端な努力は続かない。

 たとえば、こればっかり食べるダイエット法とかが続かないのはそうだ。

 仮に、いくらリンゴが身体にいいって、科学的に立証されていたとしても、何日もリンゴばっかり食べていたら、何日目かにはリンゴなんか見たくもなくなる。

 それほど料理のバリエーションがないからだってリンゴの調理法を勉強して、料理してみても、ふと我に返る。何をやってんだろう?って。


だから、何だか知らないうちにって、言うのがいいと思う。


 たとえば、ある高校生の話。この子は毎日毎日部活動をかんばっていた。仲がいい友だちがいたから、部活の先輩や後輩、同級生とも仲が良くて、顧問の先生ともいい関係だったから。

 単にそれでやっていたっていうだけの理由なんだけど、高校三年生になったら気が付いたら県の記録を塗り替えていたとか。


 他には、毎日ブログを書いていたら出版することになった、とか。noteではよく聞いたことのある話ですね。


 一生懸命になって、その目的や目標に向かって努力することもすばらしいが、何だか知らないうちにっていうのもありだ。


 健康とか病気がどうこうというのも同じである。身体を整えていたら健康になっていたとか、何だか知らないけど治ったみたいだっていうのがうれしい。

 ようし、治すぞ!って言って、なにか特別なことをするのはいかがなものか?と思う。

 愛光流の整体はそういったことを一切考えていない。師匠の山本清次先生がそう言うんだからまちがいない。むしろ、病気を治そうとか、痛いのを緩和してあげようと思ったらいけないのだ。いけないというか、そう考える時点でまだまだだな・・・っていうところだ。


 何もしなくても、何だか知らないうちにっていうのはちょっと違うのかもしれないけど、正しい努力というか、正しい積み重ねをしていって、何だか知らないうちにっていうのがいい。


 何もしないのは、何もはじまらない。


 さっきの部活の高校三年生が、何もしないで、部活もやらないで、ただ毎日を過ごしていたら、県の記録に挑戦することなんかないだろう。意識していなくても、毎日毎日正しい積み重ねをしてきた結果だから、あり得るんだ。


 まぁでも、この何だか知らないけどっていうのがいい。これを説明すると途端にけむたくなるから不思議だ。

 もうひとつ例を挙げてみると、風邪を引いたから、暖かくして、温かいものでも食べて、ゆっくり寝たら、風邪が治っていた。そういうふうなのがいい。

 これを免疫力がどうとか言いだすと、たとえ医学的に証明されていたとしても、にわかに信じたくなくなるものだ。はいはい、わかったわかったって思ってしまう。受け取りにくくなってしまうんでしょうね。

 だから、何だか知らないうちにって、言うのがいいと思う。受け取りやすいんだろうな。

 ほら、みんな何だか知らないうちに好きになっていた、とか言うじゃないですか。そういうのっていいと思いませんか?ぼくは憧れるけどなぁ。

 本日もお読みいただき、ありがとうございます。


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