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じぶんを護ること
スポーツというのはわかりやすい。
チームで争うスポーツ。青い服のチームと白い服のチームが争っている。
もし青い服のチームがひいきなら、青い服のチームが攻勢になるとよろこぶし、劣勢になったら肝を冷やす。
スポーツは楽しむものだ。結果的に、どっちのチームが勝っても多くの場合は、ぼくらの生活には直接的に影響はすくない。
そりゃ、国家を代表するようなチームが大会を勝っていくことで、大きな経済効果を生むことは知られている。そういった場合には、モノが安くなったり、サービス品が付いたり、あんまり関係のないと思われたぼくらの生活にも、うれしい効果があらわれる。
個人スポーツでも同じように、特定の選手を応援することで、その選手がどういったパフォーマンスを発揮するのか?結果はどうなのか?に、ぼくらは一喜一憂する。
スポーツがわかりやすいと言ったのは、争っている対象がわかりやすいという意味だ。チームスポーツなら単純に相手のチームと。個人スポーツなら得点とかタイムとかだ。
じぶんが何と争っているのか?何がじぶんを困らせているのかがわからないことのほうがつらい。
スポーツにたとえてみると、相手がわからない。じぶんが何と争っているのかが見えない。わからないのになぜだか、じぶんのチームがどんどん点を取られてしまう、といったところだ。
こういったことって、実はぼくたちの生活には、よくあることなんです。
何かといえば、ストレスのこと。
ストレスが溜まると、あんまりよくない効果があらわれるらしい。そういった記事とか研究とかは、インターネットにもテレビや雑誌にも載っている。
ストレスは万病のもとだ、と言われているけれど、ぼくらはじぶんにとって何がストレスなのかを、知っているのだろうか?
何がぼくのストレスかもわからないまま、ストレスの話だけされても、どうしようもない。
それこそ、対戦相手がわからないまま、グランドに立っているかのようだ。
ストレスはとても強い相手なので、争うこと自体どうなのか?とも思うけれども、現代社会では、ストレスを受けない生活を望むことのほうが難しいと思う。
こんな経験ってありませんか?
あなたにとって、一緒にいるだけで、とてもストレスを感じる上司なのに、隣りの席の同僚はその上司に特別なストレスを感じない、とか。
家に帰って、配偶者の顔を見るだけでもストレスなのに、配偶者のほうは案外そうではないらしい、とか。
この場合のあなたと、隣りの席の同僚、配偶者とは、まちがいなく受けているストレスが違う。
同じ環境でも、ストレスを受ける人と受けない人がいる。
もっと言うと、あなた以外にあなたと同じストレスを受ける人はいないかもしれない。
そういったことを考える前から、「ストレスがさ」っていう話をされても「あぁそうだよね」って何となくピンときたような、ピンときていないようなまま、話は進む。
・どうやらストレスというモノがあるらしい
・そして、それは溜まってくるととてもよくないようだ
・それは外的な刺激によって受けるものだ
・それは大抵好ましくない。
ぼくらのストレスに対する認識はこのていどだ。
ストレスを回避することができないとしたら、ぼくらが初めにやらないといけないことは、じぶんが争っている相手がわかることだ。
ちょうど、今日のナイターの相手は速攻が得意な赤い服のチームだ、というように。
ストレスの正体を知ることだ。
じぶんが何に対してストレスを感じるのかを知っておかないといけない。
ちなみにぼくの場合、長距離運転はとてもストレスがかかる。ひと月に何度か出張しているので、ぼくのストレスはかなりのものだと思う。
では、じぶんが何にストレスを感じるのかを知る方法を教えましょう。それは、じぶんのストレス反応を知ることです。
その反応が出たときって、少なからずストレスを感じている可能性がありますから。
ぼくの場合だと、ストレスを受けると身体がかゆくなるんです。できモノが出るとか、そこらへんが赤くなるということはないのだけれど、ポリポリかいています。おでこやらあたまやら、肘とか腕とかかいている。何だかよくわからないのだけれど、かいている。乾燥したのかな?って思うけれど、そうではない。
そうなってくると、ちょっと休憩しないとねっていう合図だ。
ポリポリかくようなことは避けたほうがいい。じぶんの身体をとおして知ることやわかることってとても大事なことなんだ。じぶんの身を護るって多分そういうことなんだろう。
誰も教えてくれないこと。ほんの少し振り返ってみるだけで、そうだった!って発見する。
ストレスを感じたとき、休憩するにしても、逃げるにしても、わけのわからないドリンクを飲むにしても、とにかく相手がわからないことには、どうしようもない。
ほんとうは、ぼくらはたくさんのことを知っている。何がストレスなのかも知っている。けれど、ぼくらはじぶんのその力を信じていないし、知ろうともしていない。
そんなこと、これまで誰も教えてくれなかったからね。誰かが教えてくれることばかりありがたがって、黙っていても教えてくれていることは、無視し続けてきたんだなぁ。
本日もお読みいただき、ありがとうございます。
読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。