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玉と石の見分け方

 ものごとを進めていながら、途中で思い直して、方向転換しながら、最終的に着地点を決めていくことも大事なことだけど、ものごとを進めていく前に最終形態がみえていることのほうが大事で、そこまでの評価をしたうえで、ものごとを開始しないと、即座に展開に行き詰まる。その中から突破口を考えて工夫していく現場での対応力は必要だけど、始める前にすべてが終わっているような状態から始めたほうがいいのは言うまでもない。

 展開していく中で組み立てて行くことは砂の中に宝石を見つけるようなもので、みつけたものが宝石なのか単なる石ころなのかの判断がつきにくい。石ころを宝石だと判断してしまうと、本来の目的がぼやけてしまうし、石ころを石ころだという決断も鈍る。しかし、地図を持っていて宝石と石ころの判断がある程度ついていると、みつけたものが石ころなのか宝石なのかもわかるし、レアなお宝なのかの判断もつく。

 整体操法の現場でもそのように感じることなのだが、「触れて観なければわからない」ことよりも「触れる前からわかる」ことで大半を占める。そこで玉なのか石なのかを判断しておかなくてはいけない。人間のお身体にはさまざまなことが現れている。宝石も石ころも現れている。宝石なのか石ころなのかを区別するのは操法者ではないことも多いのだけど。「触れて」から探していてはみつからない。

 そう考えて観ていると、傍からみるとボーっと観ているように思われてしまう。話をしながら会話をしながらいろんな観察をしていくのは、それこそ生き物を相手にしているのだけれど同時に別の生き物を相手にしているような感覚にも陥る。そうやってつかんだものが身体に現れていると、玉なのか石なのかを迷わずに済む。これも鍛錬なんだな。


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