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運を味方につける:四柱推命で自分の道を見極めるコツとメリット

 運がいい人と運がよくない人というのは存在しています。「この人は運がいいな」と思うこともあれば逆のこともあります。どんなことがあっても命があって毎日の生活を営んでいるのだから、それはそれで運がいいのだろうと思えないこともありません。生きているだけで奇蹟とも言えますし、毎日の生活を送って行けるだけで運がいいとも言えます。

 しかし、周りを見渡してみますとどう考えても「この人は運がいいな」と思ってしまう人がいます。その人の努力や才能はほんのわずかしか見えないものですから、運というものの加護であると思いたい。努力をいくら積み重ねていても運に恵まれていないと努力が大きく実を結ぶことはないのかもしれません。いつ訪れるかわからない運をつかむために、日々日々の努力を重ね、準備しておかなくてはいけません。

 「運がいい人」にできることならなりたいものです。いつ訪れるかわからない機会。もしかしたらあきらめた次の瞬間に訪れていたかもしれません。「あのとき○○していたら・・・」と後悔するのは機会がいつ訪れるのかがわからないからかもしれません。

 本当に効果があるのか、その担保がないとあまり信用しません。少しでも遠回りしているような暇はないのでしょう。それほど急いでどこに行くのだろう?という気にもなりますが。

 もしかしたら、失敗を恐れすぎるからかもしれません。わたしたちは失敗することを咎められて育ってきました。幼いころ「○○してはいけません」と、大人の人から言われたものです。いまの時代とは違って体罰もやむを得ない時代でした。体罰は痛いですから単純に、誰だって避けたいのです。体罰から逃れるには失敗を避けるのが何よりになります。失敗を恐れるあまり、補償がされていないものに手を出したくなくなるのでしょう。体罰がなくなったとされるいまの時代でも、レビューなどでチェックをして失敗をしないようにするのは当然のことのようです。

 四柱推命を観ます。
 そうすると人の運というのはそれぞれ異なります。
 生まれたときからずっと運がいい人、「若いころは苦労するだろうけど晩年になるとしあわせな人生を歩むんだろうなぁ」という人、「若いころは順風満帆かもしれませんが、晩年になると少々孤独な人生になりそう」な人、などなど・・・。

 運というのは道に例えられます。
 自分がどのような道を歩むのか?道は前方に拡がっています。
 曲がりくねった道かもしれませんし、でこぼこ道かもしれません。もしかしたら舗装された道かもしれませんし、サーキットのようなスピードを求められる道かもしれません。そうかと思うと田んぼや畑のあぜ道のような道かもしれませんし、クルマ一台がやっと通るような細い道かもしれません。

 誰もがみんな同じ道を走っているわけではありません。あぜ道を走っているときはサーキットを走っている人をうらやましく思うかもしれません。でもあぜ道でふとよそ見をしたら花は咲いている、虫が鳴いている、鳥が飛んでいる、作物もなっています。となりでのんびりと同じような速度で走っている人を見つけておしゃべりすることもできます。サーキット場は限界突破を求められる世界です。どちらがいいとか悪いではありません。それが道であり、それが運だからです。

 いい運が「うらやましいな」と思うことはあるでしょう。悪い運を嘆くこともあるでしょう。しかしまずは自分の運を知ることがたいせつです。自分の道、運がどのようにものなのかを知ると道順も考えることができます。サーキットを走るならサーキット仕様の、あぜ道をドンドコ行くならあぜ道仕様の準備が必要です。

 事前に調べに調べるにもかかわらず、運のことを知ろうとしないのは損益であると思います。

 「運が悪い」からと言って生活を営まないわけはありません。妙齢になるといろいろなことにチャレンジしないといけなくなります。チャレンジしたくもなります。運がいい時に何かを始めるとうまく行く可能性は増えます。しかし運がよくない時に始めるとうまく行くにしても時間がかかったり、苦難を経験したりします。

 行く道がどのような道なのか知ることで速度を緩めたり、ハンドルを操作したり、アクセルを踏んだりすることができます。壬寅年。2022年が皆さんにとりまして、よい一年となりますことを願っています。

 本日もお読みいただき、ありがとうございます。



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