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恩師ナム お別れ

息子が小学4年でラグビーを始めた。

私は子供の頃からラクビーが好きで、冬はテレビでラグビーを見ていたら、いつの間にか息子は、遊びに行っていても帰ってきてラグビーを見るようになった。

やりたいと意図をくんで実際にやることにしたのだ。

その話をナムにすると、実はナムはラグビー観戦が大好きである事を知った。

こんなに長い間やり取りしていたのに、お互いに全然知らなかったなんて。

もっとラグビーの話出来たじゃん!

ナムは息子がラグビーを始めた事をとても喜んで、花園には絶対に応援に行くとまで言ってくれた。

それから、暑中見舞いは合宿地の菅平から出すことにした。

菅平から暑中見舞いを出した4回目の返事は、いつもより少し遅かった。

入院して手術したけど、微熱を持ったまま退院したので、今年の夏の暑さが酷く堪えるという内容だった。

ショックだった。

おそらく癌。

それも手術で取りきれる状態でなく退院してきたのだ。

庭ではナムのアサガオが、今年もきれいに咲いていると言うのに、

あまりにショックを受けて、このハガキに返事をどう書くべきか悩んだ。

私が手紙を書けば、必ず返事をくれる。

きっと身体がどんなに辛くても書いてくれる。

そう思うと、必ず返事を書いてきた手紙が書けずにいた。

そうしてズルズルとしているうちに年が明けた。

必ず元旦に届くナムの年賀状は来なかった。

嫌な感じがした。

でも体調がすぐれなくて、たまたま遅れてしまうことだってあると思った。

思いたかった。

1月半ばに、じろう君からハガキが来た。

あの名刺をもらって以来見るじろう君のフルネーム、

始めてくるじろう君からのハガキには、ナムと言う言葉はなかった。

私がグズグズ悩んでいた秋に、ナムは鬼籍に入ってしまったのだ。

激しく後悔した。

なぜあの時返事を書かなかったのだろう!

ナムからの返事を考えなくたっていい、自分は手紙を書くべきだった。

住所を知っているんだから、お見舞いにだって行けたはずなのに。

合宿で菅平に来てるなんて、脳天気な手紙でお別れ?

その日以来、会うべき人には、会える時に多少無理してでも必ず会おうと心に決めた。

現在、本当に冷静になって考えられるようになると、最後の手紙が菅平からでよかったと思う。

ナムはきっとニコニコして読んでくれただろう。

結局ナムに会っていたのは、担任であった2年間と、結婚式の1日だけ。

後は膨大なナムからの絵ハガキと、ナムのサインが書かれた古い児童書、それと水色のアサガオ。

今年は少し早くアサガオは芽を出し始めた。

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