続_書くこと

書くことについて、高校生の時、印象的に覚えて
いる事は、2つある。
そのうちの一つは、昨日の投稿に書いた。

本日は、
もう一つの国語の先生超ショートストーリーを
書いたお話
から。

その国語の先生、授業の時に問題を出したら、
列で当てていくんだけど、

ある時、一列誰も正解を出せなかった。

そしたら、タコ坊主みたいに真っ赤な顔をして
「この列は嘘をついたんだ!嘘を!💢」と
怒りまくった。

私たちは、怒られているんだけど
「この先生何言っちゃってんの?」
という空気感。

誤答を「嘘」と言われても・・・

でね、その先生をモデルに何か書いた(笑)

確かジャングルの中に生きる野性的な、
原始的な人の話。

そのころ、誰かが書いたメモをクラスで回す
のが流行っていて、
私の書いたその先生のストーリーも回覧された。

結構ウケて、
今なら「好き」をたくさんもらえたかも(笑)

こうしてみると、
書いていたのは覚えているけど、
何について書いたかは
全くというほど、記憶にないものですね。

覚えてないついでに、大学生の時。

授業のレポート以外は、だんだん書く機会が
なくなっていった。

大学4年生の卒業間近の2月・・・

あれ?その前に卒論書いたやろ?

うん、書いた書いた。

イギリス文学を専攻していたので、

ハンプティダンプティのなんか「韻」を踏む
って事に関して
日本の「韻」との比較かなんか、書いた(笑)

私の出た大学はちょっと変わっていて、
卒業試験というのに合格すればOKという
仕組みだった。

卒論は希望者だけ提出。
評価対象外で講評のみくれたと思う。

せっかくだから書いたけど、
これまた覚えていない(笑)

で、卒業間近の2月に戻って

卒業試験に合格し、
あとは卒業式を待つだけだったある日
大学の教務課の人から電話がかかってきた。

「おめでとうございます。
今年度の答辞はあなたに決まりました」

「え?私ですか?」

「そうです。
ついては、答辞の文章を考えて、
国文学の先生にみてもらって下さい。
読む練習にも何回か来てください。」

「文章自分で考えるんですか?」

「ええ、そうですよ、でも先生が見てくれるから大丈夫ですよ。」

大丈夫かどうかは、私が決めたい(笑)

こんなやりとりがあり、
和歌山の自宅から大阪にある大学まで、
わざわざ交通費払って何回か大学に通った。

文章考えて、墨で、墨でよ、和紙に、和紙によ、書いたわよ。

失敗出来へん💦
もうハードル、ハードル、ハードルの山💦

何の試練だかぁ~~~😭


これも内容覚えてないけど、
当日は無難にこなし、
概ね好評に終える事が出来た。と思う。

過ぎてしまえば、
貴重な時間だったことに気づく。

すごいな、と印象に残ったのは、
「私たちは」を「私たちが」に国文学の先生が直してくれたこと。

全く文章の印象が違うものだと、驚いた。
もうひとつ、
「が」を半濁音で読むことを教わった。

先生ってすごいですね。全く。

その後社会人になったわけだけど、
書くという事は無縁な私になっていった。


振り返ってみると、

「書く」という事を通して、
その事自体より、それにまつわる周辺の記憶が
色々思い出されたような気がします。

もうひとつ、
書いた内容を全く覚えていない事も分かった(笑)

今日はここまで。
ありがとうございました。

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