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社会人になって頑張ってた頃の話④_宇都宮教室

川越教室に着任して2年くらい経った頃、
宇都宮の支店への異動を打診された。

まあ打診というより、
異動は命令だと思うんだけど、一回断ってみた。

川越教室は小規模だったが、宇都宮の支店は
営業部隊もある大きな教室だった。

生徒も確か、ピーク時で350人くらい在籍して
いた。

一方、川越教室は100人に満たない小さな教室
で、営業部隊もなかった。

誰の考えた人事か知らないけど、
いきなり過ぎた。

和歌山から遠路はるばる転勤してきた私が
言うのも何だけど

引っ越しも面倒くさい。エネルギーがいる。

そんな大きな教室を任されても出来るんだろか、
という気持ちもあった。

と思う。感情はよく覚えていない。

一回断ったが、教務部の課長さんが、
異動の意味、私にとってどんな意味があるかを
話に来てくれた。

これからは、女性がもっと活躍するべきだ。

これは、今なら当たり前、くらいなセリフだけ
ど、当時はまだこんなことを言う人はいなかっ
た。

給料があがる。インセンティブがいっぱい稼げ
る。

これは、私にはあまり響かなかったが、
異動後インセンティブがとれるようになって
意味が分かった。

結果がインセンティブという形で出るのが、
面白かった。

宇都宮教室は問題がいっぱいあるが、
私ならできる。
出来るように本社が支援する。

っていうような事を色々言われた。

支援するっていうのは、
課長が、って意味だったけど(笑)

本社の人がみんな私の異動に賛同していた
わけではなかったらしい。

で、実際、宇都宮支店は問題てんこ盛りの支店
でした。

ここでは言えない(笑)

不正もあったし・・・・・・

課長は状況をよく分かっていて、
私を推薦したらしい。

異動の犯人は課長だった(笑)

で、
異動はやむを得ないと受け入れたが、
転居は絶対に嫌だと言い張ったら、
今度は部長が登場し

「新幹線の定期代出すから、異動で決定な」
と言ってきた。

それほど、言うなら仕方ない。

異動しました。

新幹線で通勤した。大宮から宇都宮まで。

移動時間はそうでもなかったけど、
新幹線だから何だか結構Gを感じたような
記憶がある。

それまで新幹線は座るものだと思っていました
が、普通に立ってました(笑)

結構疲れる。でも若かったから通えたのかな。

それからの数か月は、
私にとっては、今まで仕事をしてきた中で
一番無我夢中になって頑張った時期だったよう
に思います。

古い事務員さんには去って頂いて、
新しい人を入れた。

講師さんたちとの面談。

生徒一人一人との個別面談。

希望する親は同席してもらって3者面談。

生徒のたまり場と化していた自習室を
いったん閉めた時には、

営業部隊からのクレーム。

おじさん世代の人が多かったし、この会社は営業
で成り立っていると、
教務部は下に見られていた。

そこにうら若い(笑)私が異動してきて、
好き勝手したら、気に食わないのは当たり前
だった。

今ならもっとうまく調整や交渉や根回しが
できただろうけど、

なにせ若かった。

営業さん達を尊重していなかった。

私が正しい。営業さん達は間違っている。

そのような気持ちで行動していたと今は思う。

一方で、生徒さんや保護者の対応は、
丁寧にやった。

お客さんだから当たり前ですが。

どうしたらいいか分からなくなると、
私を説得に来た課長に相談した。

「クレームでは死ぬことはない。とにかく言い分
をよく聞け」

「誰かと話す時はどんな時でも率直な態度で話
せ」

「教室を一時閉めてもいいという気持ちで、徹底
的に好きなようにやれ」

というような事を言ってくれた。

クレームでは死なない、というセリフは
私が今でも電話対応の仕事をしていた時には
握りしめていた言葉。

クレームでは死なない。

最近はクレームでストレス高すぎると病気になっ
て死ぬ可能性もあると思っているので、自分だけ
のお守り言葉です。

これは、クレームにびくびくと反応的になるので
はなく、謝罪すべきことは謝罪し、堂々と凛とし
て対応しろってこと。

で、私頑張りました。

結果、不正行為の対応も何とか乗り越えて、
まともな状態になった。

2年くらいかかりました。

そんなこんなで、
インセンティブもたくさん頂けるようになり、
社内で収益か収益率か覚えてないですが、
とにかく一位の教室となり、
オーストラリア旅行にも行かせてもらった。

今思えばバブル景気だった(笑)

こうして思い出してみると、
結構頑張ったし結果も出てるやん、と
自画自賛したくなる部分はたくさんあった。

でも一方で、自分以外はみんなバカと思って
いるような傲慢な自分もいたような気がする。

私の考えは正しい、みんなの考えは間違ってい
る。

私は他の人より仕事ができると思い込んでいたよ
うな気分も感じる。

そんな考えがあることに当時から気が付いていれ
ば、よかった。

色々貴重な経験をした時期だったのに、そこから
学んでこなかった。

今、振り返って思うことは、

非常に困難と思うことを乗り超えようと苦労して
いる時期が、過ぎてみれば一番楽しいし、成長も
できる時だった。

今思えば、です。気づくの遅っ(笑)

でも気づいたからまあいいか、です。

今日はここまで。
ありがとうございました。


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